今日の昼ごはんは、豚バラとキャベツと卵の炒めものだった。最初に豚バラを炒めたら、フライパンの底に油がビチャビチャに溜まった。「これはもはや揚げものやろ」なんてつぶやきながら、キャベツと卵をカリカリに揚げた。
自分で料理をつくると気持ちがスッとする。つくる過程で、食べものに対して「愛着」というか「親近感」みたいなものが自分の内側にうまれる。気持ちが”煮込まれる”みたいに、うまれる。
その「煮込まれた気持ち」も一緒に食卓に添えているような感覚になる。だから、余計においしく感じる。
作ったごはんを食べているとき、すこし気分がアガッていた。いつもだいたいそうなのだけど、ご馳走様をするときに、その「アガった気分」が行き場を失う。「物足りない、もっと食べたい、でもお腹いっぱい」。みたいな。
「行き場をうしなった気分」を抱えつつ、とりあえず無理矢理に席をたった。それから、洗い物を片付けた。
先にお皿をスポンジで擦って、洗い場のスペースを少しずつ広げていた。スペースを広げながら、順番に片していった。
最後はフライパン。この錆びついたデカい器具には、”揚げた”あとの、ドロドロした油が溜まっていた。水で洗おうとしても無駄だった。「熱いお湯」で、しばらく浸すことにした。
じっとしているより動いた方がいい。「行き場を失った気分」をどうにかしようと思って、「外」に出た。買い物も兼ねた「食後の散歩」だった。歩いていると、気分がほぐれてきた。錆びついた体から、「ドロドロしたもの」が分離していく。この「ドロドロしたもの」は、”分かれた”あと、どこにいくのだろうと思った。
雨上がりの午後の街。天気の回復具合に比例するように、人が増えていた。人が増えはじめた街を歩いていると、歩道の片隅に水たまりがあった。そこには、「虹」が映っていた。油が浮いていたのだ。
ドロドロの油は、街の片隅で、虹になっていた。