あじさい祭り

2023.6.28

 

 

 

新しい家で初めての朝をむかえた。

4時半ごろ、太陽の光で目が覚めた。

窓の内側には「障子」がはってあった。

その白い紙を光が通過して、ぼくの寝床に太陽の熱を届けていた。

 

気持ちが澄んでいた。

陽の光で目覚めたあと、すこしヨガをした。

自然に朝が始まったからか、これからの生活に期待が持てた。

 

気分があがってワクワクする感じではない。

静かに何かが進んでいくような感覚だ。

線香花火をしているときの、あの静かで心地よい熱っぽさ。

 

この日は初出勤だった。出勤時間は12時。

午前中は、下田にある「あじさい公園」に行くことにした。

 

6時ごろ、伊豆高原駅に向かった。

寂れた観光地の、寂れた駅前通りを歩いた。

寂れているけど、どこか静かな熱っぽさを感じた。

この街には、まだ熱が残っていると思った。

 

駅前の通りの川を眺めて、水の流れる音を聴いた。

静かに海に向かっている水が、とても綺麗だった。

 

駅に着いて、伊豆急に乗った。

下田に向かう電車の中は、ガラガラだった。

海岸側の窓際の席は、今日も陽の光で暑かった。

 

青い海と赤い太陽を眺めながら、「あじさい公園」のことを教えてくれた「友人」のことを思い出していた。

その人を「友人」というカテゴリーに入れるのは、ちょっと変な感じがする。

歳が20ぐらい離れている女性で、実家から歩いて5分のところにあるスタバで「ちょっとした話」をするぐらいの仲だった。

 

不思議な縁のある方だった。

10代のころ、消防士を目指して勉強していたとき、ぼくの知人がこの世を去った。

「くも膜下出血」だった。

 

その女性も、同じ年に、「くも膜下出血」で倒れた。

彼女は一度倒れたけれど、生き残った。

 

ちょっとした偶然だけど、「何か」を感じた。

 

消防士を目指していたとき、「人を救う」という言葉が嫌いだった。

漠然と「人の役に立ちたい」と思っていたけど、「人を救う」という言葉が嫌いだった。

 

人はいずれみんな死ぬ。

みんな死ぬのに、「そのとき命をすこし”長らえさせる”」だけのことを「救う」という言葉で形容するのが嫌だった。

みんな限られた時間を生きて、死んでいく。そこに変わりはない。

 

生きて、そして死んでいく。そのタイミングが違うだけ。

タイミングが違うだけなのに、「救う」なんていうのは大袈裟だと思った。

 

そんなことをごちゃごちゃ考えながら、それでも「みんな生きて、みんな死んでいく世界」で「何か」をやりたくて、消防士になるために勉強していた。

消防の採用試験の勉強のために、彼女がいるスタバに通っていた。

生きるとか死ぬとか、そういうことを考えながら勉強して、頭も心も煮詰まりがちだった。

そんなぼくに、いつも何気なく微笑みかけてくれた。

その微笑みに、ぼくは救われていた。

  

下田駅についた。

彼女のことを思い出していた。

彼女が微笑んだとき、目尻に綺麗な皺ができる。

その皺を思い出しながら、下田の街を歩いた。

 

彼女は、紫陽花が好きだった。

1ヶ月前くらいに地元のスタバで再開したとき、彼女と「紫陽花の話」をした。

 

紫陽花の写真を、彼女に”届けなくちゃいけない”気がした。

燃え上がるようにそんなことを思ったのではなく、静かな気持ちで、「届けなくちゃいけない」と思った。

 

「あじさい祭り」が開催される2時間前、公園についた。

今は紫陽花の開花時期だから、この公園では「祭り」をやっていたのだ。

その「祭り」に参加するには「タイミング」が悪かったし、とにかく紫陽花の写真が撮れればいいと思っていたから、祭りのスタート前に”フライング気味”で公園に入ることになった。

 

海の近くの公園だった。

その海の近くの公園にも、川があった。

川沿いの道を歩き、水の音を聴いていた。

水の音を聴きながら、カメラを片手に紫陽花をさがし歩いた。

 

きれいな紫陽花が咲いていた。

海が見える公園を、紫陽花を眺めながら歩いた。

歩きながら、あのときスタバにいた彼女のことを思い出していた。

 

早朝の、誰もいない紫陽花だらけの公園。

その公園で彼女の表情を思い出した。

きれいな皺の走る、静かで暖かい朝のような笑顔だった。

 

 

 

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