2023.06.26
気分次第で「目に見える景色」が変わることについて考えた。
レンタルコンテナで荷物を入れ替えたあと、大森駅から鎌倉駅に向かった。
久しぶりに東京神奈川で電車に乗った。昼間だからか、電車内は席がたくさん空いていた。席に座って、harukanakamuraの『Alone together』を聴いていた。
ついこの前まで地元の小倉で乗っていた電車と、いま乗っている東京の電車と、あんまり変わらない気がした。
変わらない気がしたのは、たぶん「自分の気分」がずっと変わらないからだ。「同じ気分」で過ごしていれば、場所を変えても「目に見える景色」はそんなに変わらない。
小倉だろうが東京だろうが、同じ日本という「国」なわけで、北海道に行こうが沖縄に行こうが、どこの景色もおそらくだいたい似通っている。
目に見える景色はどこにいってもだいたい似通っていて、どこにいってもだいたい同じで、それは同じような「構造」を持っていて、「同じようなもの」を見ようとすれば、だいたいなんだって同じように見える。
このとき、目に見える景色がなんだか「白紙」に思えた。
都市の「雑多な景色」は色づけられているけれど、こっちの気分が”白けて”いれば、そこに「色」があっても「白紙」になる。
白けた気分で眺めれば、そこにある「色」が見えなくなる。そこにある「彩り」に気づけない。
鎌倉に着いて、予約していたゲストハウスに荷物を置きに行った。『BENCH』という外国人観光客が多そうなゲストハウス。
駅から少しだけ歩くと、ゲストハウスに着いた。中で、”スパイスカレーをつくってそうな女性二人”がテーブルを囲んでお茶をしていた。僕が着いた時間が早かったみたいで、開店前の休憩中に水を差してしまった。
鎌倉はなんだか”ゆるくて”心地いい。
スパイスカレーをつくってそうな金髪のショートカットが似合う女の人がチェックインの対応をしてくれた。
さっきまでもう一人の女性とお茶をしていたときのテンションと同じようなテンションだった。心地のいい”ゆるさ”で一通り施設の案内をしてくれた。
案内が終わって荷物を置いて外に出るとき、ぼくが「いってきまーす」と言うと、「いってらっしゃーい」と”ゆるく”答えてくれた。
この「ゆるいやりとり」が好きだなぁと思った。
この「ゆるいやりとり」で、母の声を思い出した。
住み慣れた実家の台所でカレーをかき混ぜていた母。
玄関に向かって歩くぼく。
”家を出る”ために玄関に向かって歩くぼく。
母のいる台所の横をぼんやりと歩きながら通り過ぎていくぼくに向かって、「いってらっしゃーい」と言っていた母の声。
あの母の声を、思い出した。
「ゆるいつながり」が感じられるようになると、気分が彩られていく。
夕暮れ前の観光客で賑わう鎌倉の町を歩いていると、「目に見える景色」に輪郭が出てきた。
やっぱり、目を凝らせば同じようなものの中にも違いが沢山あるし、その違いを見えないようにする「白けた気分」ほどつまらないものはないなぁと思った。
そんなことを考えながら、鎌倉の街を歩いた。
鎌倉の”ゆるさ”がつくる景色は、海風みたいだった。
すこし潮の匂いがする、海風みたいだった。