つきてみよ
一二三四五六七八(ひふみよいむなや)
九の十(ここのとを)
十(とお)とをさめて
またはじまるを
良寛
札幌駅から倶知安駅に向かっていました。
電車に乗って、窓の外にひろがる雪の森林を眺めていました。雪景色の電車、よかったです。
ぼくはいつも「窓の外」をみていますね。いつからかはわかりませんが、ぼくはいつも「窓の外」をみつめています。
「硝子越し」に見える世界が好きなのです。硝子の「厚み」があると安心するのでしょうか。直接「光」を目にすると、眩しくて耐えられないからでしょうか。
きっと”硝子の厚み”があるから、安心して世界と「対面」できるのです。
きっと”硝子に光を仲介”してもらっているから、安心して世界と「対面」できるのです。
ありがたいことです。
今日は、硝子越しに雪と戯れる森をみていました。「雪の戯れ」をみていると、気持ちが澄んできました。温度のある、澄んだ気持ちになりました。
「この気持ちを、ずっと覚えていたい」。
そう思いました。
電車の中でも、きのうに引き続き、坂口恭平さんの『躁鬱大学』を読んでいました。
坂口さんが「躁と鬱のあいだで記憶が断絶する」というようなことをおっしゃっていて、ぼくもそれについて思うことがありました。
躁鬱人は、「躁」のときには「リミッター」が外れたかのように自分の限界を超えて何でもやってしまうみたいです。ぼくの場合、何かに取り憑かれるみたいに、「誰の記憶なのかわからないこと」を話したりします。
でも、それは「自分の限界」を超えてますから、後から「しっぺ返し」を喰らいます。反動で疲弊するのです。
その反動で疲弊した状態が「鬱」です。鬱のときは、躁の状態が嘘だったみたいに動けなくなります。頭の中では”迫害を受ける”みたいに「自分を責める声」が鳴り響いています。
「自分を責める」なんてやめればいいのですが、これは「雨」や「雪」みたいなところがあるので、簡単にはやみません。「天気」には逆らえません。
躁が鬱の要因で、鬱は躁の要因。そういうところがあるみたいです。ただ、躁が”直接”鬱の要因で、鬱が”直接”躁の要因になっているというわけではなさそうです。
躁のときに自分がやっている「何か」が、鬱のときの「何か」に対応している。鬱のときに自分がやっている「何か」が、躁のときの「何か」に対応している。そんな気がします。
この「何か」を意識できればいいのですが、これがなかなかむずかしい。
これが意識できないから、躁と鬱のあいだに「記憶の断絶」が起こるのです。
坂口さんは、鬱のときに「とにかく手を動かそう」と思ってパステル画を描いていたら、そこで「光」のようなものに出会ったとおっしゃっていました。その「光」に出会ってから「記憶の断絶」が減っていったそうです。
躁と鬱のあいだに”橋が架かった”のでしょう。いえ、もっと言えば”虹が架かった”のでしょう。この感覚、すこしわかるような気がします。
この「虹」があれば、”自覚的”に躁と鬱を行き来できます。躁や鬱の波は消えないのですが、その波に自覚的に乗れるようになります。”波を乗りこなす”ようになるのです。
そうです。躁鬱人は「サーファー」になれるのです(!)。気分の波が激しいのは躁鬱人の短所だとされがちですが、その激しい波を乗りこなすこともできるのです。
そうです。気分の「ビッグウェーブ」を乗りこなすポテンシャルを持っているのも、躁鬱人なのです(!!)。
そして、波に乗ったとき、躁鬱人は「世界」を変えます(!!!)。
波に乗って、なんとも言い難い「あの瞬間」をつかむことができる。
「あの瞬間」をつかみ、それを「体現」することができる。
「あの瞬間」を「体現」し、”世界を変える”のです。
躁鬱人には、それだけのポテンシャルがあります。ぼくは、そう信じています。
坂口さんの本を読んで、ますますそう思うようになりました。そういう「想い」を、強くしました。
波に揺られながら「そのとき」を待つサーファーのように、気分の波に揺られながら、「そのとき」を待つこと。それは、「躁鬱超人」の在り方です。
「躁鬱超人」は、もはや躁鬱に飲まれない存在です。気分の波に飲まれないのです。彼はもう、波に飲まれず海を楽しんでいるのです。躁鬱の波の中にありがながら、躁鬱の波に属していないのです。
坂口さんが掻き分けた言葉の海を眺めながら、揺らめく言葉の波音を聴きながら、ぼくも「躁鬱超人」への道へ進んでいこうと思いました。
「光」をつかめば、”そこ”に「虹」が架り、「揺らぎ」のうえに立てる。
そういう学びを得た、有意義な読書体験でした。
また、海がみたくなりました。
ぼくは、揺らぎが大好きです。
いつまでも眺めていられます。
これからも、いつまでも揺らいでいてください。