海風に吹かれた

 

2023.6.26

 

 

 

鎌倉駅で電車に乗って、逗子駅に向かった。

鎌倉の海風にあたって心地良くなったまま電車に揺られていた。子守唄を聴くみたいに、haruka nakamuraの『Reflection Eternal』を聴いていた。

電車に揺られる。風に揺られる。何かに揺らされるのが好きらしい。精神が赤ちゃんのころから「成長」していないのかもしれない。揺り籠から墓場まで、揺られっぱなしの人生も悪くない。

 

逗子駅に着いて、バスを待った。この日は葉山港に行った。ここは因縁の場所だ。

 

数ヶ月前、初めて葉山港に行ったとき、この場所と「太い縁」があると一瞬でわかった。

旧い友人と再会するみたいに「場所と出会う」ことがある。

「場所と出会う」なんて、言葉にするとヘンテコだけど、懐かしさと新鮮さが混ざった感覚になるような場所があって、葉山港はそういう場所なのだ。

東京に用事ができたとき、せっかくならこの「旧友」に会いに行こうと思った。

 

年を重ねて、どうでもいい観念やどうでもいい理屈を身にまとって、暑苦しさで”揺り籠から墓場まで”の道のりを歩くのが面倒になることがある。

そんな暑苦しい日々に飽き飽きして、「旧友」に会いにいく。

 

旧友に会いにいく道のりで感じる気持ちよさ。

「装い」を軽くして、旧友のところに向かう途中の軽やかな気分。「久しぶりの再会」の、海風に吹かれるような心地よさ。久しぶりに”海を見た”ときのような圧倒的な解放感。

きっと「旧友」の心は広いのだ。だから、「旧友」に会いにいくまでの道のりは気持ちいいのだ。

 

ところで、大杉栄という人物が気になっている。

大杉栄とは何者なのか。このまえ「地元」に帰省していたとき、高橋巌さんの『シュタイナーの人生論』を読んでいて、その中で大杉栄が紹介されていて、一瞬で惹かれた。

海風に吹かれるように、一瞬で惹かれた。

その大杉栄は葉山に縁があるらしい。葉山港という旧友と再会したとき、大杉の存在は知らなかった。

葉山港のすぐそばにある「日影茶屋」というところで、大杉は”女に刺された”みたいだ。「日影茶屋事件」と呼ばれている。女性関係が無茶苦茶だったらしく、その影響でこの「事件」が起きたらしい。

はちゃめちゃな女性関係を調べてみても面白かったけど、それより、大杉のエッセイを読んでみるとこれがまた面白かった。

『僕は精神が好きだ』というエッセイが最高だったので、ちょっと引用。

 

 僕は精神が好きだ。しかしその精神が理論化されると大がいは厭になる。理論化という行程の間に、多くは社会的現実との調和、事大的妥協があるからだ。まやかしがあるからだ。 精神そのままの思想はまれだ。精神そのままの行為はなおさらまれだ。生まれたままの精神そのものすらまれだ。 この意味から僕は文壇諸君のぼんやりした民本主義や人道主義が好きだ。少なくとも可愛い。しかし法律学者や政治学者の民本呼ばわりや人道呼ばわりは大嫌いだ。聞いただけでも虫ずが走る。 社会主義も大嫌いだ。無政府主義もどうかすると少々厭になる。 僕の一番好きなのは人間の盲目的行為だ。精神そのままの爆発だ。しかしこの精神さえ持たないものがある。 思想に自由あれ。しかしまた行為にも自由あれ。そして更にはまた動機にも自由あれ。

僕は精神が好きだ(新字新仮名) 大杉栄名作全集

 

サイコーだ。

大杉栄も、「旧友」なのかもしれない。

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