秋の夜の
月の光を
見るごとに
心もしぬに
いにしへ思ほゆ
『月の兎』の反歌(解説) 良寛
久しぶりにやなせたかしさんの詩集を読み返しました。
北海道にきて「キリスト」と向き合おうと決め、今もその最中なのですが、「キリスト」について考えていると、時々、アンパンマンが思い浮かびます。
アンパンマンというか、やなせさんの言葉を思い出します。
やなせさんの言葉に、「弱さの強さ」を感じます。
生きることには、ある種の苦痛が伴う。
でも、悲しい、辛い、苦しい、そんな感情が生まれるのは、生きているからこそ。
悲しいと思うのは、生きている証なのです。
死んでしまえば、それを感じることはできないのですから。
そして、そんななかに、必ずある種のうれしさがやってきます。
人生は悲喜こもごも。うれしいことばかりではありませんが、
悲しいことだけでも決してないのです。
『ちいさなてのひらでも』より、スペシャルインタビュー やなせたかし
ニセコで、おもしろい友人に出会いました。
料理人のツヨシです。
ツヨシとは、出会って間もない頃に職場のキッチンでまな板を隣に並べて、二人で包丁をトントン言わせながら話をして仲良くなりました。
まだまだ全然ツヨシのことを知らないのに、「この人は深い優しさを持っているな」と直感的に感じました。
話を聴けば聴くほど、このときの直感は間違ってなかったなぁと思わされる人物です。
お互いの休みが合った日に『The POW BAR & co. COFFEE & PLANT BASED BAKE SHOP』というカフェでお茶をしました。
ニセコにきて、休みの日はほとんど一人で過ごすことが多かったです。
ですが、「ツヨシと話したい」と心の深いところが言っている気がして、食事に誘いました。
おおげさに言うと、心の奥の方で「この人と対話をしないといけない」と感じていたんだと思います。
「対話をしないといけない」なんておおげさですが、「この”縁”を逃さない方がいい」という直観が働いたのは確かです。
「直観が働いた」といっても、強烈に”ビビビッときた”とか、そういうことではありません。むしろそれは、微かで弱々しいものです。おぼつかない感覚です。
この「おぼつかない感覚」を、ぼくは大事にしています。
経験上、この「おぼつかない感覚」が大きく育っていくことを知っているからです。
ツヨシと話していると、やっぱり「奇妙な縁」があることがわかりました。
ツヨシは、インドでバックパッカーをしているときに大麻を吸って「バッドトリップ」したらしいです。
ぼくは大麻を吸ったことはありませんが、「バッドトリップ」に近い経験をしたことはあります。
あまり人に深く話せることではないのですが、ツヨシはこの話が”通じる”人でした。
「変な話」が通じる相手に出会えて、お互いに少しビックリしていました。
ぼくは、「あぁ、やっぱりこの人は”あの悲しみ”を知っている」とおもいました。
日頃他人に話せないことを話すと、自分の中の「何か」が変化します。
それは「理解されて嬉しい」という感覚とはちがいます。
共感できる部分は限られているし、相手の体験の内実なんか、そもそもわかりっこないからです。
同じように、自分の体験も他人にはわかりっこないんだと思います。
でも、話すことで「何か」が変わる。
「何か」を”交感”することで、内に抱えている「体験の記憶」が動きはじめるのです。
ツヨシと話していて、そんなことを思いました。
ツヨシは、大学を中退して気ままに生きている人です。気ままに、懸命に生きている人です。ぼくにはそうみえました。
千葉大の工学部でデザインを学んでいたそうです。やなせたかしさんと同じところです。
アンパンマンの作者と同じ学校出身だと聞いて、「千葉大でデザインを学ぶと”弱さの強さ”がその身に宿るのか」と、思考が飛躍しそうになりました(これは嘘です。妙なつながりを感じてちょっと驚いただけです)。
前のブログでも書きましたが、ぼくは北海道にきて、「キリスト」と向き合っています。キリスト者の本を読んだり、キリスト教に関わる場所に行ったりしています。
最初に内村鑑三にピンときて、すこしずつ内村の著作を読み進めています。
そんなときに出会ったツヨシは、内村と同じ群馬県の高崎市出身でした。
北海道に縁が深い、高崎出身のウチムラ。北海道で働く、高崎出身のツヨシ。
北海道と高崎と、ウチムラとツヨシ。
北海道で出会った高崎出身の優しい人たち。
ぼくは「奇妙なつながり」に思考を乗っ取られるタイプ(MBTIでいうと「Ni」が有意なタイプ)なので、「これは何かあるぞ」と思いました。
その話をツヨシ本人にすると、「ハハハ」と言って笑っていました。そりゃそうですね。多くの人にとって、この感覚は奇妙なものに映るでしょう。
でも、ツヨシも「奇妙なつながり」がすこしわかるタイプだそうで、ぼくの「変な話」をマジメに聴いてくれました。
ルイボスティーを飲みながら、「次はどこにいこう」と話していました。
近くに「有島武郎記念館」があるので、そこにいこうとツヨシが言ってくれました。
ぼくは、有島記念館にそのうち一人で行こうと思っていました。
これも前のブログに書きましたが、有島武郎という人の影響もあって、ぼくはニセコにきたのです。
有島武郎の師匠である内村鑑三と同じ高崎出身のツヨシが、有島記念館に行こうと言ってくれたので、ぼくの心は踊りました。
「奇妙なつながり」に興奮し、「なんて日だ!」と心の中で叫びそうでした(これも嘘です。妙なつながりを感じてちょっと嬉しかっただけです)。
有島武郎記念館について、あることに気づきました。ツヨシはぼくの私淑しているクリエイターの高城剛さんと同じ名前です。イニシャルも同じです。
「奇妙なつながり」に完全に思考が支配されているので、勢いあまってまたまたツヨシにこの「奇妙なつながり」の話をしました。文字通り”奇妙に”話していたと思います。
ツヨシは、さっきより大きいボリュームで「ハハハ」と笑っていました。
「オレ、とりあえずゼッタイ近々高崎に行くわ!」と興奮気味に話しながら、有島武郎の資料を”上の空”で眺めながら、館内を回っていました。
なんの縁なのか、この日有島記念館では「書の展示会」が行われていて、入館料がタダでした。
この「書の展示」も、とてもよかったです。漢字一文字に込められた「何か」を感じ取ろうと、作品の前でジーッとしていると、あっという間に時間が過ぎていきました。
「糧」という文字に、何か感じるものがありました。
「有島武郎の資料は全然味わえなかったけど、タダだからいいか!」と自己正当化しながら、またこんど一人でリベンジしようと思いました。
有島記念館をあとにして、ツヨシの車に乗って帰ることにしました。
”知り合いに譲ってもらった”というツヨシの青い車は、ボロボロでした。
「こんなにボロボロになるまで使い込んだのか」と思って心を動かされていたのですが、実際のところは単に運転が下手くそで、たくさん事故を起こしただけだったみたいです。
笑っちゃいました。
気持ちいいくらいに、「ハハハ」と笑っちゃいました。
雪道を走る車のなかでは、ショパンを流していました。
ツヨシはショパンが好きみたいです。
ぼくもショパンの『子犬のワルツ』が好きなので、iPhoneで流すことにしました。
夕暮れ時の雪道ドライブで気の合う友人と『子犬のワルツ』を聴いていると、楽しくて優しい気持ちになってきました。
視線を前にむけると、フロントガラスにぶつかってくる雪が、ワイパーで傍に追いやられていました。
右に振られ、左に振られ。
窓ガラスの上では、雪が隅っこに追いやられていました。
でも、ボロボロの青い車は、雪を掻き分けたアスファルトに沿って目的地の家までまっすぐに進んでいました。
表面で何かが揺れようが、「自分」を信じて走っていれば、辿り着くべきところに辿り着くのです。
ボロボロでも、辿り着くのです。
雪に視界を遮られたり、雪に視界を彩ってもらったり、雪に道を示してもらったり。
今年の冬も、色々あって面白いです。