お返し

 

 

 

こんばんは。

いま、直島から高松に向かうフェリーに乗っています。

最近、休日はいつも高松か宇野(岡山)に船で出かけています。

波に揺られる時間は、やはり気持ちいいです。

 

ところで、僕は「旅」は自分を見つめなおす機会だと思っています。

旅をするのが単純に好きなのですが、僕にとって旅は”自分”を客観的にみつめる機会にもなっていて、「自分との対話」を深める時間になっています。

 

綺麗なことだけじゃなく、自分のなかの「ドロドロとした部分」や自分の「無能さ」としっかり向き合って、できる限り客観的に自分をみつめて、そこからやっと見えてくる光がある。

自分から逃げて無意味に「ポジティブ」に生きようとしたり、自分から逃げてメロドラマや被害妄想などの「ネガティブ」に捉われたりしないで、冷静に自分を見つめたうえで見えてくる光。

その光が、まわりに流されず、上っ面の善悪に捉われず、「自分の可能性」から逃げずに生きる力になるんじゃないかと、最近つくづく感じます。

 

そして、旅の途中で出会ったヒトやモノが与えてくれるものはやはりとても大きくて、これまで何度旅先で出会った人たちに助けられたのだろうと改めて振り返ってみると、時間がいくらあっても足りないような気がします。

そのときその瞬間の出会いの意味はわからなくても、その出会いの中でなんとなく心に「ひっかかり」が残っていることを無視しない。

そうして自分と対話しながら心のなかでその「ひっかかり」を深めていくと、人生を切り開くキッカケを与えられていたことに、後から気づいたりします。

出会ったときにすぐに気づければもっといいとは思うのですが、やはり時間をかけないとみえてこないこともあって、後から大事なことに気づくことが多いです。

 

 

ちょっと話がかわるのですが、はじめて洞爺湖にいったとき、すてきな雑貨屋さんで素敵な本をみつけました。

いのちはのちのいのちへ』という本です。

稲葉俊朗さんという、お医者さんが書いた本です。

稲葉さんは、医師という枠に収まらない多面的な活動をなされていて、なおかつ上品な気配を感じる方で、ここのところ、この方の活動に個人的に注目しています。

 

活動的なお医者さんの本を、雪の降る洞爺湖で手にとってパラパラとめくったとき、ぼくは自分が見失っていた「夢」を思い出すような、そんな感覚をおぼえました。

「夢を思い出す」というとちょっとおおげさな気もするのですが、そのときの感覚を自分の中で深めたり、本を読んで触発された自分の考えの奥の奥まで覗いてみたりすると、やっぱりあれは「夢を思い出す」ような感覚でした。

 

その感覚は、最初は小さな芽のようなもので、雨風からしっかり守っておかないと、つぶれそうなものでもありました。

でも、最近はその「小さな芽」もそれなりにすくすく育ってきていて、いまもまだ心許ないものではあれ、確かに生長しています。

 

自分でその生長を見守るのがたのしくて、このたのしさを独り占めするのがもったいないような気持ちを抱いています。

「自分の内にあるものなのに、自分のものじゃない」というか、色々な人が僕の前を通り過ぎるとき、水をあげてくれたり、陽の光に当てて育ててくれたりします。

 

また、時に芽を引っこ抜こうとしたり、土壌を丸ごと掘り返そうと荒療治を試みる人もいたり、良くも悪くも”愉しい刺激”を与えてくれる人も結構います。

色んな人と和気藹々と「誕生」を祝うように花を育てたり、良くも悪くも賢い人たちとゲーム感覚で「殺し合い」をするように芽を摘みあったり、自分で衝動的に「自殺」を試みるように根を引っこ抜こうとしたり、そしてやっぱり、ほとんどの時間は孤独に自分と向き合って、コツコツお水をあげる。

 

そうやって、来る日も来る日も「夢」を育てる。

収穫の時期が来たら、たくさんの人にできる範囲で「お返し」する。

枯れていくときは、「次」の準備を怠らない。

そういうふうに自分の人生を全うし、苦しくもあり滑稽でもあり愉快でもある素晴らしい日々を、僕はこれからも送っていくつもりです。

 

 

それでは、今日は瀬戸内海の片隅に浮かぶ船のうえから、貴方の前途洋々を祈ります。

見果てぬ夢を追いかける日々の彩りが、貴方にもきっと届くと信じて。

 

 

 

 

 

 

 

船にのって碧い海を眺めながらケツメイシの『子供たちの未来へ』を聴いていた。

穏やかな波に揺られながら、「たくさんの人に健康な日々を過ごしてもらいたいなぁ」と思った。

 

 

「健康」をそれなりに意識して生活してきたけど、ガサツな部分がとても多かった。

せっかく自分に合った健康習慣をつくっていけそうな機会が訪れたのに、サボってしまうことがおおかった。

でも、ちゃんと実践しているときにはちゃんと効果があって、その実感が確かにあるから、健康習慣が本格的に改善されている。少しずつ。

 

血液解析によるデータをベースに食事や睡眠や運動などの健康習慣を”個別”につくっていく、という方法に惹かれて精密栄養学(日本版)を試している。

「データ」を読み解くプロの指導に従って食生活を見直してみると、穏やかな気分ですごせることが多くなった。

これまでの日々が嘘だったみたいに。

 

「幸せ」って、結局は健康状態のことなんじゃないか?

と、思う。

だから、「幸せ」でいたかったら、健康管理を徹底すればいい。

と、思う。

 

ただ、人は「幸せ」になるために生きているわけではない、と僕は思っている。

「幸せにならなきゃ!」という思い込みが不幸を呼び込むのはよくあるパターンで、「幸せのその先」を目指しているときに”副産物”のように感じられる何かが「幸せ」という現象の本質だと思う。

だから、「幸せになるために健康を目指す」というのはある意味では倒錯だ。

 

 

「何のために健康でいたいのか」

ずっと考えていた。

それが、すこしわかった。

 

自分のために健康を目指しても、うまくいかない。

人は(僕は)自分のためだけに生きられるほど強くない。

 

自分以外の誰かのために健康を目指すとすこし頑張れるけど、これでもすこし「何か」が足りない。

人は(僕は)自分以外の誰かのためだけに生きられるほど立派ではない。

 

だったら、何のために?

その答えが、すこしだけ見えてきた。

 

なんのことはない。

自然界を見倣えばいいだけだった。

 

 

「僕にできることがあれば、お手伝いします」と言ってくれる人がいた。

とても自然だった。

とても自然で、感動した。

 

「こんなふうに言えるようになりたいな」と思った。

とても自然な気持ちだった。

とても自然にそう思えて、感動した。

 

ぼくのためでもなく、あなたのためでもなく、みんなのためでもなく。

もっと大切なもののために。

それが、ぼくのためにも、あなたのためにも、みんなのためにもなる。

 

いのちはのちのいのちへ。

「次」につないでいくこと。

大事なことは、それだけだった。

 

 

 

たった一つの巡り合いから生まれた

君とのすれ違いの時代へ

君の為に 君たちの為に

何をし何を残してやれるだろう

子供たちの未来が 想像よりも幸せで

またその子供たちの未来も 君よりもっと幸せで

ありますよう 共に願おう

なりますよう 永遠に語ろう

励ますよう 共に歌おう

笑顔だらけの未来へ

 

子供たちの未来へ』 ケツメイシ

 

 

 

【追伸】

貴方の夢が実ることを、今日も心よりお祈り申し上げます。

「自分」を信じてくださいね。

いつも、いつまでも。

 

 

 

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