2022.08.20
「躍動するラーマーヤナの世界」というイベントに行った。
ネットで3日前ぐらいに見つけて、ピンときた。
こういう直感に触れた時は、その後の生活に深く浸透していく「何か」に出会えることが多い。
実際に行ってみて、その予感は間違ってなかったと思った。
実家から戻ってきて、睡眠のリズムをなかなか整えられなくなっていた。
寝不足でボーッとしながら午前中を怠惰に過ごした。
13時くらいに、「キャンセル」という選択肢が渦巻きはじめた。
なんとか家から出て、瑞江駅に向かった。
雨が降っていた。
台風まえの不穏な曇り空は、倦怠感でモヤモヤした気分に合っていた。
途中、新宿三丁目で乗り換えがあるから、そこで一旦降りて紀伊國屋で本を買おうと思った。
気分が荒ぶると本屋に行きたくなるのは、「いいこと」なのだろうか。
今まで気分が沈むたびに本屋に駆け込んで不安を紛らわしていたけど、ここ最近は、「それって何かまずくないか?」と思いはじめている。
本を読むことで自分に何かを隠している気がする。
開場は15時だったけれど、最初のイベントはパスして16時半まで瑞江駅の近くのカフェで文章を書くことにした。
ごちゃごちゃした気分を落ち着かせたかった。
はちみつレモネードを飲んでいると、すこし体がポカポカした。
ラーマーヤナのアニメーション映画と舞踏を観た。
前に『バガヴァッド・ギーター』を読んだときの感覚が蘇った。
そのときと全く同じでは全然ないけれど、共通基盤としての「インドの熱風」みたいなものが心の中に吹いてきた。
「インドの詩ってすげー」と、気分が高揚した。
いや、気分が高揚するというより、気分以前のところにスーッと何か「大いなるもの」が届いた。
そのときの感覚が自分の深いところでじっくり温められて、インドの叙事詩を無条件に信頼しているようなところがある。
異国の古い詩への無条件へ信頼は、盲目的な何かに支えられているような気もする。
でも、とりあえず何かを信じることで温かい気持ちになれるのなら、それは”いいこと”なんじゃないかと思った。