2022.10.15
朝、布団の中で手なぐさみにYouTubeを開いて漁っていた。
女子学生の弓道の映像があって、それを観たときになんだか「懐かしい記憶」に触れたと感じた。
大分にあるばあちゃんの家の近所の光景が浮かんだ。
「これはなんだろう?」と思って、その記憶をもっと覗いていくことにした。
小学生のころ、いとこやおばちゃんたちと近所の小学校で遊んでいた。
小高い丘の上にある田舎の小学校。
田んぼと川と神社に囲まれていた。
そこに行くと、空が広く感じた。
弓を引っ張っている引き締まった表情をした女子学生。
張り詰めた空気の中でゆっくりと動いていく小さな体。
小さな体が大きな円を描くように拡がっている。
道場の冷たい床に足をつけながら、空から地上を見下す鳥のように的を見つめていた。
彼女は解き放った。
そして解き放たれた。
弓道部の女子が見つめる光景と、大分の田舎の小学校の空は、きっとどこかでつながっている。
なんの根拠もないけど、そう思った。
きのうはユングを読んでいた。
「小なる結合」と「大なる結合」について考えていた。
世界には繋がった方がいいことと繋がらない方がいいことがあって、繋がらない方がいいことが繋がってしまったときは、「苦い現象」が起きるのだろうか。
みたいなことを考えていた。
そして、その解釈はきっと間違っているとおもった。
記憶は放っておけばただの素材だけど、それを調理すれば思い出になる。
たぶん神様は素材だけばら撒いて、調理は地上に任せたんだろう。
それは「いい思い出を持って帰ってこい」と言ってるようなものだと思った。
もしくは「うまい飯を食わせろ」と言ってるようなものだと思った。
神様って、リビングで呑気に新聞でも読みながら「ご飯まだ?」とか言ってそうだ。