そのときまで

 

「壺中天の本と珈琲」という隣町のカフェに行った。伊豆高原に来てからちょくちょく通ってるブックカフェだ。

最近はいつも、杉本博司さんの『影老日記』を読んでいる。杉本さんの活動には、何か感じるものがある。未来の自分にとって必要な素材が散りばめられているような気がして、ワクワクしながら読んでいる。

今日は、何となく本棚から星野道夫さんの『Michio’s Northern Dreams』というヴィジュアルブックのシリーズと、倉橋由美子さんの『幻想絵画館』を手に取って席にもっていった。

星野さんのヴィジュアルブックを開いて読んでみて、「見つけた…」と思った。

 

ずっとこういうものに出会う瞬間を待っていた気がした。

文と写真でつくられた本を読んでいる間の時間に、「遠く」まで行けた。ここが「果て」なんじゃないかと思えるぐらいの「遠く」まで行けた。

言葉と写真の可能性を信じたくて、でも、なんだか心許なくて。毎日文章を書いたり写真を撮ったりしていて、「こんなことやって何の意味があるんだろう?」と思うことが度々あって。

こんな気持ちは、モノをつくってる人なら、ほとんど誰しもが抱いてしまうものだろうと思う。

でも、そんな気持ちを晴らしてくれるモノに出会うのも、モノをつくってる人なら誰しもが体験するものでもあって、今日のぼくにはそういう体験が訪れた。

こういう出会いが訪れるから、「つくること」を諦められない。

 

人生はからくりに満ちている。

日々の暮らしの中で、無数の人々とすれ違いながら、私たちは出会うことがない。

その根源的な悲しみは、言いかえれば、人と人が出会う限りない不思議さに通じている。

人と出会い、その人間を好きになればなるほど、風景は広がりと深さをもってきます。

やはり世界は無限の広がりを内包していると思いたいものです。

ラブ・ストーリー』 星野道夫

 

きっとこの文を引用するだけじゃ、今日のぼくが出会ったものは伝わらない。この言葉の背景にある写真が、この言葉をつくっていたから。

言葉だけでも素敵だけど、その先にあるものがあるから、この言葉が「果て」を見せてくれる。果てしない果てを見せてくれる。

「果て」を見てみたいから、ぼくも”自分の足”で風景をつかみに行こうと、改めて思った。自分の足で風景をつかんで、そこから言葉を繋いでいきたいと思った。

言葉と風景が溶けた世界の中を巡りたいなぁと思った。

そういう世界を巡って、自分もこの世界に溶けていきたいなぁ思った。

「そのとき」がくるまえに、こういう”時を超える”モノをつくっておこうと思った。

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