客観的

 

 

 

人間の生活やその一生の運命をきめるものは、一瞬間のほかにありません。
長い相談をしたところで、決定となれば、瞬間にきめられることです。
分別のある人だけが正しい道をとらえるのです。
選択にあたって、あれやこれやと思い惑い、
気持を混乱させるのは、危険をますばかりです。

ヘルマンとドロテーア』 ゲーテ

 

 

 

いい決断をしたなと思えたとき、振り返ってみれば、クヨクヨ迷いながら選択したものじゃなくて、なんとなく「これだ」と思ったものを選択したものの方が圧倒的に多い。

これはなんでだろう。

 

生きることは判断の連続だと言うけれど、それは実際どういうものなのか。

街を歩いているとき、友達と話しているとき、料理をしているとき、自分はどんな判断を連続的に下しながら生きているのか。

 

「判断する自分」に自覚的になるには、エネルギーがいる。

意識を研ぎ澄まして生活すると、「判断する自分を観察する自分」みたいな、「自分から距離のとれた視点」のようなものが現れる。

 

客観的な視点。

この言葉を耳にするたびに、人間はきっと「自分の視点」から離れられないから、「客観的」といえども、結局のところ視点には「主観」以外存在しないだろうと考えていた。

今でも厳密にはその考えは変わってない。

けれども、完全な客観は存在しないにしても、”客観的”な視点は存在すると思うようになった。

思うようになったというか、「客観的な視点」というものが具体的にどういったものなのかを”自分の感覚”を通じて理解するようになった。

だから、「あぁ、これが客観的な視点か」と思えるようになった。

 

この「客観的な視点」とは、「判断する自分を観察する自分」の視点に他ならない。

自分から距離がとれた(ように感じる)視点のことだ。

自分から距離のとれた視点、という自分の視点。

なんだかごちゃごちゃするけれど、ようするに、「客観的な視点」は”二重になった自分の視点”なのだと思う。

 

その二重になった自分の視点を、”重なったままのかたち”で捉えることができるかどうか。

重なったままの視点を保持して生活するのは、ひとつの視点だけで生活するよりエネルギーがいる。

思い切りがいいなぁと思う人。

決断力があるなぁと思う人。

そういう人は、エネルギッシュだ。

 

元気がよくてエネルギッシュな人をみると、ときどき、「この人ってあんまり物事を深く考えないのかな?」なんて思うことがある。

なんだかバカっぽいなぁ、みたいな。

けれど、それはたぶん勘違いだ。

 

決断力のある人は、常日頃から「二重の視点」を持って生きているから、その活力がエネルギッシュな雰囲気となって現れているんじゃないか。

二重の視点を生成し続けるその様が、”元気なオーラ”となって外に表れるようになっているんじゃないか。

 

「物事を深く考えている人」という言葉から連想を広げると、なんだかメガネをかけた陰気な人物が頭に浮かぶ。

深く考える人=根暗みたいな固定観念があるみたいだ。

だけど、それはまぁ間違っている。

根暗な人もいるけれど、明るくて元気な「物事を深く考えている人」もいる。

きっとたくさんいる。

なぜかぼくは、後者寄りの人に惹かれる。

 

二重の視点を持って生きること。

決断力も増すし、元気なオーラが人を惹きつけ好感を持たれる。

なにより、表も裏も合わせて世界の色んな部分に気づくことができる。

素晴らしいじゃないか。

 

 

 

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