ひとつのうた

 

この頃、毎日毎日、「小さな奇跡」が降り注いでいる。

外から誰かが僕のことを見ていても、「きっと誰にもわからないだろうなぁ」と思えるような、小さな奇跡。

それは吹けば飛ぶようなものでもある。

 

偶然の一致に意味を見出すか、それとも一笑に付すか。

それは人間存在の持つ大切な何かに関わっていた。

その大切な何かが、たましいというものだった。

星野道夫

 

 

夜、キッチンでルイボスティーを飲みながら同居人のシドウと話していた。シドウはけっこう変わってる奴だけれど、本人はまだ自覚がないらしい。

「これからの人生で少しずつ自分の変人っぷりに気づいていくのだろうなぁ」と、これからのシドウの「愉しい人生」を想った。半分羨むように、半分労るようにして、7つ歳の離れた男の子を眺めていた。

 

シドウが「お風呂入ってくるー!」と言いながら楽しそうに階段を降りていき、ぼくは「はーい!」と言いながらぬるくなったルイボスティーを啜っていた。

シドウが吸ったCAMELの吸い殻が、紫のパッケージの葡萄ジュースのペットボトルの中で浮かんでいた。窓の外は暗くなって、雪はもうぼんやりとしか見えなかった。

 

キッチンの上に置いたiPhoneでランダム再生にしていたYouTube Musicから、MONDO GROSSOの『IN THIS WORLD』が流れてきた。

2階のリビングに、音が響いた。

「うわっ!」と思った。いつもの「あの予感」がした。いつも違う形でやってくる「あの予感」がした。

 

UAが書いた詞と、坂本龍一のピアノにのって、満島ひかりが歌って踊っていた。

好きなクリエイターたちが、「ひとつのうた」のために集まっていた。

UAや坂本龍一や満島ひかりを「好き」という言葉で表現すると、忸怩たる思いがするというか、なんだかむず痒くなって、「適切ではないなぁ」という思いになる。けれど、他に言葉が見つからない。

 

うたを聴き終えて、「やっぱりヤバかったなぁ」と、何の感想にもなってない感想がアタマに浮かんでいた。

語彙力を失った状態で、歌詞を調べて読んでいた。

「あぁ、やっぱりこれはアレだなぁ」と思った。

「これはUAで坂本龍一で満島ひかりだ」と、かろうじて日本語ではある文字列をアタマの中に並べていた。「言語障害」が顔を見せはじめた。

 

「UA(マヒトゥ・ザ・ピーポー)の『微熱』を聴くのもいいし、坂本龍一の『aqua』を聴くのもいいし、『愛のむきだし(コリント書の13番)』で満島ひかりを観るのもいいけど、たまには”UAで坂本龍一で満島ひかりになったモノ”に触れるのもいいよね。」

みたいなことを考えていた。「症状」に改善は見られないらしい。すくなくともまだ「微熱」ではあるらしい。

まぁ、「水(aqua)」でも飲んで「聖書(コリント書)」でも詠んでれば治るでしょう。

 

まぁみなさん、とにかく聴いてみてください。

 

さあだから海になりましょう
乾いた世界を泣いて
絶望を飲み込んで

さあだから愛になりましょう
乾いた世界を抱いて
希望を読み取って

IN THIS WORLD』MONDO GROSSO

 

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