初しぐれ 名もなき山の おもしろき
師走も知らず 弥彦山
良寛
小樽から札幌にもどってきました。”背負うべきもの”を背負って、再スタートです。
札幌駅にもどってきて、ステラプレスイーストの「スタバ」に行きました。「スターバックス」です。
そう、荷物を背負って”星に帰ってきた”のです(意味不明)。
伊豆高原を出発して北海道に向かう道中、「ナオミさん」からLINEが届きました。10年くらい前に地元のスタバで出会った人です。ときどき、「旅先で撮った写真」を送り合ったりしている仲です。
ナオミさんからスタバのクーポンをもらいました。それを札幌でつかわせてもらおうと思ったわけです。
ナオミさんと旅を共にしているわけではないけれど、「道中でみかけた景色」や「一息つくためのプレゼント」を分け合ったりしていると、ナオミさんとのあいだに不思議な「近さ」を感じます。
スタバのカウンターでカモミールティーラテ(ソイミルクに変更)を頼みました。パートナー(店員)の女性にiPhoneのクーポン画面を見せました。
すると、彼女が「友人ですか?家族ですか?」と言いました。一瞬、戸惑いました。
どうやらこのクーポンは「誰かと分け合う」というコンセプトでつくられていたらしく、スタバで働くパートナーが家族や友人にギフトとして贈るものだったらしいのです。
それで、「友人ですか?家族ですか?」と彼女は聴いてくれたのですね。
この質問をされたときに感じた戸惑いは、ナオミさんとの関係を「友人」や「家族」という名前で括ることに対する戸惑いでした。
いま冷静に考えると「友人」でいいと思えるのですが、そのときはなんだか違和感がありました。ほんの一瞬だけれど、ちょっとした「抵抗感」がありました。
もちろんナオミさんは「家族」ではないですし、カフェで少し話して、ときどきメッセージのやりとりをするだけの関係です。お互いの過去はもちろん、現在の情報なども、把握していることはほんのちょっぴりでたかが知れています。
コミュニケーションをとった時間は家族に比べてもちろん格段に短く、休日に一緒に出かけたりしたわけでもありません。けれど、ナオミさんとの対話の中の短い時間の中(というより刹那の時間)で「家族」には触れることができなかった「何か」に触れたような気がしたり、単なる「友人」としては片付けられない「何か」があったりします。
そういう経験をした仲だと感じていたので、「家族ですか?友人ですか?」と聞かれて、戸惑ってしまいました。その経験を、ぼくは大事にしたいと思っていたのです。
戸惑ったその瞬間は、”言葉が裂けていた”ような気がしました。言葉の割れ目から、「何か」が飛び出していたように思います。
もちろん、パートナーの彼女を責めているわけでもなく、質問の言葉を訂正してほしいわけでもありませんでした。そんなことを言い出したらキリがないですからね。
でも、「自分が感じ取ったこと」は大切にしようと思いました。
「他人が使う言葉」や「社会で流通している言葉」と、「自分の感覚」にはギャップがあります。きっと誰しもが感じたことがあることでしょう。
「そんな”安い言葉”にしないでほしい」と思うことは、よくあります。悪い意味で言葉が「クーポン」みたいに出回っていると感じることが、よくあります。悪い意味での「利害」や「損得」が言葉に貼り付けられているように感じることが、よくあります。
でも、「クーポンみたいな言葉」をいちいち訂正するのは大変だし、まぁ無理です。それに、自分だって言葉を「クーポン」にしてしまうこともあります。
でも、せめて言葉の感覚の「ギャップ」や「ズレ」には自覚的でいたいと思いました。訂正まではしなくてもいいから、「ギャップ」や「ズレ」に敏感でいて、「あいだ」にあるものを感じ取りながら生きていたいです。「大切なもの」は、何かと何かの「あいだ」から生まれ出てくると思うから。
「友人」からもらった「クーポン」で買ったドリンクを片手に、札幌の駅ビルの片隅のテーブルに座りました。
「初めての旅先」でいつものホットドリンクを飲みながら、「やっぱり、帰ってきたんだなぁ」と思いました。
しばらくさっきの「ズレ」の感触を確かめながら、白いマグカップを両手で包んでいました。
白く濁ったカモミールティラテは、とても温かったです。