コノハナサクヤヒメ

 

学大のドトールで日記を書いていた。左の奥の部屋に入って、学芸大学駅が窓の向こうに見える席に座った。今日は「文化の日」だった。祝日の朝の8時過ぎの駅にも、けっこうたくさんの人がいた。

カフェインレスコーヒーをホットで頼んで、このまえの旅のことを思い出していた。旅のことを思い出そうとしていると、昨日の夜に読んだ『シャーマンズボディ』の記憶もチラついてきた。意識に張り付いていた「この世では役に立たないこと」という言葉が、あたまを過っていた。

「この世では役に立たないこと」をずっと追いかけている。この世では役に立たないけれど、価値がないわけではないものが好きだ。

カフェインレスコーヒーをアイスにすれば良かったなぁと、すこし後悔した。口にコーヒの余熱が張り付く感じが気持ちわるくて、アイスコーヒーのサーっと消えていく感じが欲しくなった。きっと「ないものねだり」なんだろう。

 

日記を書き終わって、集中力がなだらかな山の斜面みたいに落ちてくるのを感じていた。コーヒーも飲み終わったし、水もなくなったし、とりあえず書きたいことは書いたし、「次に行こう」と思って会計をした。長い時間集中するのは苦手だけど、場所を変えたりすれば、集中力が谷を抜け出して次の山を登ってくれる。

 

中目黒で乗り換えて日比谷線の電車に乗った。秋葉原に行こうと思った。中目黒駅出発の電車だったので席がガランと空いていた。入り口の扉の横の座席に腰掛けて、膝の上にMacBookを置いた。到着時間を確認すると、約30分後だった。

15分ぐらいするとガクンと眠くなって、MacBookを閉じてカバンに戻した。やっぱり「谷」にハマったままだった。移動中に気持ちよくなって眠くなるのは小さい頃からで、昔はいつも父が運転する車の助手席で気持ちよく寝ていた。「静かに動いている場所で落ち着く性質」みたいなものが、あるのかもしれない。

うつらうつらしながら電車の座席に身を委ねていると、「次はヒビヤです」というアナウンスが聞こえた。聞こえた気がした。実際は、「次はイリヤです」だった。どっちにしろ秋葉原は通り過ぎていた。寝過ごしたのだ。

入谷という地名は初めて聞いた。Googleマップで入谷駅のまわりをみてみると、「三島神社」があるのがわかった。どんな神社なのかしらないけれど、コメント欄のところで「コノハナサクヤヒメ」という文字が見えた。なんとなく気になって、入谷で降りることにした。「谷に入るのも悪くない」なんて言い訳をしながら、三島神社に向かった。

 

三島神社に着いた。御祭神は「大山積命」で、木花咲耶姫(コノハナサクヤヒメ)はその娘さんみたいだった。「やっぱり父という山はデカいんだな」と、また”わけのわからない言い訳”を思いついた。

 

わけのわからない言い訳みたいな、この世では役に立ちそうにないものに価値を感じるのは、「この世で役に立つ」ものが”なんだかつまらない”と感じている時が多い。この世で役に立つものより、この世で役に立たないものの方が、価値がギュッと”つまっている”ように思える。スカスカの人生に飽きてきたら、気晴らしに役に立たないことをする。それは、いつか何かの役に立つだろう。

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