2023.06.26
羽田から電車に数十分揺られてしばらくすると平和島駅に着いた。
平和島というとボートレース場が思い浮かぶ。特別にギャンブルが好きなわけではないけれど、ボートや競馬、それから競輪が身近にある環境で育ったからか、「公営ギャンブル」にアタマが反応する。
広い意味での「賭け事」は好きだ。だいたい、生きることは一瞬一瞬が「賭け」みたいなところがあると思う。ちょっとした判断の違いで「これから」が変わってくる。ちょっとした判断の違いで、人生が変わっていく。
そんなふうに考えることは、大袈裟なようにも思える。けれど、大袈裟に考えないのなら「考えること」にたいした価値はない。
大袈裟に考えないのなら「考えること」にたいした価値はない。そう自分で言っておいて、「本当にそうかな?」とも思った。たいした価値はない、と言ってしまうのも大袈裟な気がする。
とはいえ、狭い範囲でごちゃごちゃと考えるだけなら、結局は自分の「慣れ親しんだ考え」から離れることがない。「慣れ親しんだ考え」から離れることがないから、「今の自分」から離れることもない。現状維持のままだ。
きっと、大袈裟に考えないなら考えることに”価値がない”と思ったのは、「今の自分」を守るための言い訳みたいに「考えること」を使うことには”意味がない”と思っているからだろう。それはつまり、「今の自分」から離れていくことに意味があると思っているということだ。新しい自分に出会うことに価値があると思っている。
そもそも人間にとって「考えること」は新しい未知なる「何か」に向かっていくために必要なものであって、「未到の地」を目指すためにアタマがあるんだと思う。「古い考え」に固執して自分を縛るためにアタマが存在するわけではないと思う。
とはいえ、なんとなく生きているとアタマで自分を縛るようなことばっかりやってしまう。特に東京で生活した6年間はそんなことが結構多かったように思う。
その東京に久しぶりに戻ってきた。平和島から1.4㎞ぐらいのところにコンテナがある。そのコンテナをレンタルして、家財を入れていてる。
東京を離れるとき、生活道具一式をそのコンテナに詰め込んだ。活気があるようでないような街の、2畳の湿った空間に。
生活するための基本的な道具があるから、一応ここは自分にとっての「拠点」のひとつなんだと思う。
住所は小倉の実家に戻した。実家に住所を戻し、生活道具を東京に残し、これから伊豆半島の新しい職場に向かう。これからは、その寮で暮らすことになる。
登録する住所は福岡、生活の道具は東京、住む場所は静岡。三つの拠点を確保した。
気づけば、「分散」していた。
ぼくにとって、「分散」は最近のテーマの一つだ。
ただ、何のために何を「分散」しているのか自分でもよくわかってない。
ただ、適当にバラバラにしているわけではなく、分散しながらも一定の「まとまり」が残るようにした。自分の中に、自分にしかわからないような「まとまり」があって、その「自分の中にだけ存在するまとまり」をぼくは結構信じている。
自分の中に「まとまり」があるとわかっていれば、”バラバラ”になってもそんなに寂しくはない。自分のなかで「つながり」が見えていれば、”離れて”いてもそんなに寂しくはない。
むしろ「自分だけの道」を歩いているような心地がする。それが、気持ちいい。未知なる道は、いつだって自分だけの道だ。
そんなことを考えながら、夏が始まった都会の焦げた匂いのしそうなアスファルトを歩いていた。ギュウギュウに荷物を詰め込んだ32リットルの黒いバックパックを背負い、ギュウギュウに荷物を詰め込んだ46リットルの黒いボストンバッグを持っていた。
どうしていつも自分で自分に負荷をかけたがるのか。
”重たい荷物”を背負って、汗をかきながらポツポツと歩いた。歩きながら、「結局こういうのが楽しい」と思った。
少しずつ「何か」を削るような、ジリジリと「何か」を焼いていくような、そんな感覚。そういう感覚が、気持ちいい。
学生のときの教室を思い出した。黒板に書かれていく文字が頭に薄らぼんやり浮かぶ。カツカツと黒板にチョークが当てられる音がする。文字から堕ちていく、白いチョークの粉。黒板に擦り当てられ、ジリジリと白い粉が舞い散っていく。
頭の中の「白い粉」は、どこか楽しげだった。夏に降る雪みたいに、どこか楽しげだった。
お気に入りの靴を履いていた。THE NORTH FACEの黒いライトトレッキングシューズ。その靴を履いて、都会のアスファルトの上を歩いた。
人工的で平らな道路。その平らな道を歩きながら、「”平坦な道のり”なんか、どこにも無いんだろうなぁ」と思った。