おはようございます。
体調いかがですか?
僕は、元気です。
いま、港町の喫茶店でアイスコーヒーを飲みながら読書をしているところです。
店員さんが淹れてくれたアイスコーヒーにこっそりMCTオイルを入れて、「ケト・サピエンスだから許して」とかなんとか言いながら、一人でニヤニヤしてます(あいかわらずヤバいですね!)。
ともかく、もっともっと”元気”になりたくて、日々、体調管理に励んでいます。
さて、このまえ告知した通り(ヘンチクリンな告知でしたね笑)、今回は「サイバースペース」をテーマにして書いていきたいと思います。
サイバースペースというかインターネットというかオンラインコミュニケーションについては、これまであまり表には出さなかったのですが、実は僕が長年考えていたトピックでもあり、そのうち考えをまとめたいと思っていたけれどなかなか着手できずにいたことでもあります。
いまこのタイミングでそれらの考えをまとめることに着手しようと思ったのは、最近ようやくこのトピックについての「スタートライン」が見えた(気がしている)からで、その「スタートライン」が見えてからというもの、僕はとても前向きに生きることができています。
「希望」という言葉の意味が、うまれてはじめてわかったような気がしています。
そして、希望を持って生きていけるようになったのは、貴方のおかげでもあるのです。
お気づきかどうかはわかりませんが、僕はこのブログを通じて貴方に励まされ、たくさんのことを教わっています。
貴方が貴重な時間をつかって僕の文章を読んでくださるから、僕もそれに応えたいと思って色んなことを真剣に考えるのですが、そうすると、ひとりで考えていても気づけなかったことが見えてきたりするのです。
貴方と一緒に考えを巡らせ、貴方と一緒に想いを深め、共に前へ進んでいるような、そんな感覚を抱いたりしています。
僕が勝手にそう思い込んでいるだけかもしれませんが、そういう感覚を持って生きていると、やっぱりとても幸せです。
だから、今日も貴方に感謝の気持ちを伝えたいです。
いつも、本当にありがとう。
それでは、貴方と僕がこのブログを一緒に愉しんで行けることを、今回も勝手ながら願っています。
共に、希望に満ちた未来に向かっていけますように。
港の向こうに見える海と空に想いを込めて。
さあ始めよう
新しい世界が呼んでいる
ほら見てごらん
いくつの海 隔てていたとしても
いつだって支えている
恐れずに前へ
忘れないで
We fight together
『Fight Together』 安室奈美恵
港町の喫茶店の窓際の席に座っていた。
潮風を感じながらコーヒーを啜りつつ、ノヴァーリスの『青い花』の「第二部(実現)」について考えていた。
描かれなかった”物語の続き”について考えていたのだ。
ドイツ浪漫派の綺羅星、ノヴァーリス。
「夢」と「電気」と「彗星」の目眩くスペクタルを描くドイツ浪漫派の詩人たち。
ゲーテやノヴァーリスを生んだ19世紀のドイツが好きだ。
この時代が残したものに”宇宙的郷愁”とでもいうような「何か」を感じる。
宇宙的郷愁であり、”未来的郷愁”のような何か。
同じような”未来的郷愁”を感じる時代がいくつかある。
そして、”つなぎたがり”な僕は、いくつかある憧れの時代に、星を繋ぐように想いを馳せたりする。
ひとつの煌めく時代ともうひとつ別の煌めく時代を結んでいくと、そこに「何か」が現れてくる。
19世紀ドイツからもっともっと時代を遡って、古代ギリシアにも想いを馳せた。
ノヴァーリスはオデュッセイアをどう読んだのだろう?
このまえ、硝子窓に映る青い花を観たあとしばらくして、この問いが浮かんだ。
ノヴァーリスの信条はともかく、僕は青い花とオデュッセイアをどうつなげたいのか。
考えてみた。
「自分」で物語を編集していくのが、たのしい。
19世紀ドイツと古代ギリシアのリミックス。
それは、現代に何をもたらすのだろうか?
ハインリッヒは、青い花の国に「帰還」する。
それはもちろん決まっている。
そして、蘇ったマティルデと再び語り合う(語らいの場はきっと港)。
ポイントは、そこだ。
二人は一体、何について語り合うのか。
10年くらい前から『2001年宇宙への旅』を「そろそろ観よう」と思いつつ、なぜかスルーしていた。
アーサー・クラーク原作の、キューブリック映画。
名作中の名作。
原題は『Space Odyssey』。
キューブリックも、オデュッセイアに編集をかけた。
数年前、宮台真司さんとダースレーダーさんの解説付きで『ミッドナイトゴスペル』や『攻殻機動隊 SAC_2045』を観たりしながら、”テクノロジーと人間の関係”について考え込んでいた。
考え込むだけに留まらず、偶然も重なって、後々、いくつかのちょっとした「実践」の機会に恵まれた。
そして、わかったことがいくつかある。
ひとつ確実に言えるのは、「実際に自分でやってみなきゃわからないことがある」ということ。
それが、わかった。
昔は、「キューブリックの何がそんなにいいの?」ぐらいに思っていたけれど、実際に「体験」してみると、あの映画の意味が少しわかってくる。
ただ映像を観るだけじゃ、きっとわからなかっただろう。
そして、「非日常的な体験」そのものが大切なんじゃなくて、そこから「還ってきたあとの体験」こそが大切なんだと気づくには、誰かの助けが必要だった。
幸運なことに、僕は気づくと、いつも誰かに助けられていた。
比喩としての「誰か」などではなく、実際にこの世界に存在する人。
言うまでもなく、実際に生きている人じゃなくても、古い映画や古い本に学び、それに助けられることもたくさんある。
過去の中に、学びの種は埋まっているのだ。
過ぎ去ったものに固執するのは愚かだと思うけれど、過去から学ぶべきものを蔑ろにするのは愚の骨頂だ。
歴史を、適切な仕方で、大事にしたい。
未来に話しかけられるのを待っている歴史に声をかけること。
それが、歴史の適切な扱い方のひとつだ。
未来と過去が語り合うとき、歴史が未来にむかって線を伸ばして波打ち、「新しい始まり」が微笑む。
昔の話を、もうひとつ。
大学生のころ、カリキュラム選択のためのオリエンテーションで「IT社会デザイン」という言葉に出会った。
これからやってくる「IT社会」に適応できる人材を育てるために、誰かが勝手に命名してカテゴライズしたらしい。
「なんだか胡散臭いなぁ」と”引っ掛かり”を覚えた。
でも何か”気になるもの”を感じた。
モヤモヤしていた。
”引っ掛かり”という雲があるところには、希望が隠れていることがある。
希望が隠れてるから、それを覆っている雲を見つめる必要がある。
そうすると、わかってくる。
その雲は「引っ掛かり」というより「とっかかり」のようなものなのだ。
つまり、「始まりのキッカケ」をあたえてくれるものなのだ。
いや、「キッカケ」というのもちょっとちがう。
それはむしろ「始まり」そのものだ。
ただし、単なる「始まり」ではない。
それは、「新しい始まり」なのだ。
新しい始まり。
掴みどころのない言葉。
雲のようだ。
掴みどころのない雲。
その雲は、”優しさ”の源泉だ。
雲は、希望を守るために、それを優しく包み込んでいる。
いつも楽しそうにプカプカ浮かんでいる優しい雲。
時々、何かに悩んでモヤモヤと揺蕩っている優しい雲。
曇っているのに晴れやかで、だからなんだか愛おしい。
あの優しい雲は、悩みながらも、いつも希望を包み込んでいる。
希望を抱いて、笑ってる。
希望と一緒に、ニコニコ笑っているのだ。
青い花の話に戻ろう。
ハインリッヒとマティルデは、何について語り合っていたのか。
そう。
ハインリッヒとマティルデは、希望について語り合っていたのだ。
彼らには、希望という花が与えられていた。
彼らの語らいが今、新たに始まる。