ブラインドの膨らみ

2023.06.26

 

逗子駅からバスに乗って葉山マリーナに向かった。このバスに乗るのはたぶん4回目で、もうすでに”馴染み深い”バスだった。「4回」というのは多いのか少ないのか微妙なところだけど、馴染み深いと感じるなら、それはやっぱり多いのだろう。

たとえば同じ喫茶店に「4回」通ったら、やっぱりたぶんもうすでに「馴染みの店」だと感じるだろうと思う。ただし、短期間に「あいだ」をあまり開けずに通うことが重要で、「あいだ」を開けすぎると「4回」という数字の意味がたぶん変わってくる。一年に一回ずつ「4回」通うのと、一週間に一回ずつ「4回」通うのとでは、違う。

 

「4回目」のマリーナ行きのバスに揺られながら、逗子から葉山への街並みを眺めていた。海があって、海からそう遠くない距離に海と平行に川が流れていて、その川沿いに店が並んでいる。並んだ店の前の細い道をバスが走っている。

なんとなく、どこに何の店があるのか覚えていた。覚えていたけれど、きっとこのバスを降りたら、もう何がどこにあったのか思い出せなくなると思う。バスに乗っている”あいだ”にだけ、「バスから見える景色」を思い出す。

細い道を通るバスの車内は一種の「記憶再生装置」で、バスに揺られている時間に何かを思い出すことは、これから「旧友」に会いにいくまでの、何かの「儀式」みたいだった。ある意味では「通過儀礼」だ。

 

鐙摺のバス停付近で、「ラ・マーレ」という海の目の前のフレンチレストランが見えた。「ほんとは今日はここに行きたかった」と思いながら、休店日の白いレストランを通り過ぎた。その後すぐに、「日影茶屋」の前を通り過ぎて、「いつかお金に余裕ができたらここにも行きたい」と思った。

葉山マリーナのバス停で降りて、「マーロウ」という”行きつけ”のカフェに行った。

葉山港へ来たときは毎回寄っているから、たぶん今回は「4回目」のマーロウで、「リラックスフラワーブレンド」と「抹茶プリン」を頼んだ。

リラックスフラワーブレンドを頼んだとき、店員の女性が「フラワーブレンド美味しいですよ」と言ってくれた。ぼくはそのとき”誰かに話しかけられる”ことを予期してなくて、「4回目のマーロウ」で過去の記憶を回想しながら自分の「内側」に目を向けていた。

「内向き」になっているときに外から何かが入ってくると、ちょっとびっくりする。店員さんの「フラワーブレンド美味しいですよ」という言葉に咄嗟に反応しようとした。だけど、ぎこちなく「あっ、はい…」みたいに返答をした。つまらない返答を、つまらない態度でしてしまった。

「あっ、飲んだことあります?」と訊かれた。「あっ、ずいぶん前に…」と、またもやぎこちなく答えた。結局、会話が全体的にぎこちなくなった。

店員さんが去ったあと、自分の言葉を振り返った。「”ずいぶん前”ではないな」と思った。初めてきたのが少なくとも3月頃だから、まだ、3ヶ月か4ヶ月しか経ってない。

けれど、「感覚的には間違ってない」と思った。記憶を「内側で再生」していると、前にフラワーブレンドを飲んだのは「ずいぶん前」に感じられた。

3ヶ月か4ヶ月の時間が、「内側」では3年にも4年にも感じられた。そんな「内側」の出来事はあの店員さんには関係ないだろうし、「ふつうの感覚」で会話をしているときにあの局面で「ずいぶん前に…」というのはたぶん「間違い」なんだろうと思った。

「間違い」なんだろうと思うと同時に、それはまぁ「ふつうの感覚」を前提にしているからであって、前提条件が「ふつうの感覚」ではなくなれば、「間違い」と呼ばずにすむ。

そんな言い訳めいたことを考えている今この瞬間に気づいたのだけど、「内側」の記憶に向かっている最中にも「ふつうの感覚」は生きていて、「ふつうの感覚」と「内側の感覚」が”ごちゃ混ぜ”になった状態で過ごしていたから、さっきのぼくはギクシャクしたんだろうと思った。

 

リラックスフラワーブレンドと抹茶プリンを、さっきとは「別の店員さん」が持ってきてくれた。このときはギクシャクすることなく会釈をした。

窓の外の港の向こうに広がる海を眺めた。

海風が、少し開いた窓から内側に向かって吹いていた。窓の内側にあるブラインドが、風に吹かれていた。

ブラインドは、カサカサと音を立てながら、店の内に向かって膨らんでいた。

風に押されながら、内に向かってゆったりと膨らんでいた。

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