マグロのレアカツ

2022.12.31

 

 

 

大井町から東京テレポートに向かうりんかい線の中で”うたた寝”していた。

三島由紀夫の『暁の寺』を読んでいた。

「夕焼だけが芸術ですね」というセリフ。

真っ暗な地下の車両。

観念の粒が沸いては消える。

お台場に向かう電車に揺られながら、起きているのか眠っているのかわからない状態だった。

中途半端に夢を見ていた。

 

東京テレポートに着いた。

人混みに混ざって歩いた。

「ダイバーシティ」という文字が見えた。

多様性。

潜水者の都市。

「ダイバーシティお台場」に入ることにした。

 

入り口から中へ入ると、右手にショップの案内があった。

6階にレストラン街があるらしい。

とりあえずエレベーターに乗った。

6階のボタンを押した。

 

「おぼんdeごはん」で昼食をとることにした。

マグロのレアカツ定食。

魚が食べたいと思ってレストラン街を徘徊していた途中、「とんかつもいいなぁ」と思い始めた。

結局、「おぼんdeごはん」でマグロのレアカツを食べた。

折衷案だ。

美味しかった。

 

マグロの身の生々しさ。

血の色。

生々しい血の色。

それを茶色い衣で包んでいる。

生々しい皮下組織を、皮膚で包んでいる。

あれは人体だ。

 

「皮膚感覚」を大事にしている。

読んで字の如く、皮膚の感覚。

ときどき皮膚が何かを感じる。

「鳥肌」がたったりするのが典型だ。

頭で何かを感じるまえに、皮膚が、先に何かを感じていることがあるように思う。

 

皮膚は外界との接地面だ。

生々しいものをそのまま外界に出すより、衣で包んだ方がいいことがしばしば。

 

身体の衣としての皮膚。

衣服としての皮膚。

生の感覚を守る衣服。

生の感覚を守る衣服が、先に感じるとるもの。

守ろうとして出来上がった膜。

その膜が感じることの意味。

それを考える。

鳥肌がたったとき、その意味を考える。

その感覚には、大切なものが包まれている。

生々しくて、大切な何かがラッピングされている。

 

ダイバーシティの6階でマグロのレアカツをおろし醤油に浸して食べていると、大切な何かを思い出せそうな気がした。

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