2022.12.02
I’m waiting for you
Under the misteletoe, all alone
『just one wish』friday night plans
今日は「ハイパージェンダー」について考えた。
両性具有に関わるアレコレについて。
12時前、学大のいきなりステーキで「ワイルドステーキ」を単品で頼んだ。
ライスは無し。
米が恋しいような気もしたけれど、この”恋しさ”は「何か」に変えられると思った。
「主食」への欲望を別の何かに変えること。
「主食」と思い込んでいるものへの欲望を別の何かに変えること。
「主食」という思い込みから解放されること。
そんなわけのわからないことを考えながら、店員に渡された紙エプロンを胸の前にかけた。
ステーキが来るまでのあいだ、千葉雅也の『ツイッター哲学———別の仕方で』をつまみ読み。
肉を待ちながら、千葉さんの文章を堪能。
「天才が才能を磨きつづけるとこうなるのか」と思った。
きのうの夕刊のとき、いつものアパートの隅っこにバイクを止めて歩いていた。
薄ピンクのきれいな生地のスタイリッシュなセットアップを着た”ヘテロではない人”とすれ違った。
綺麗だった。
シャンプーの匂いがした。
風呂上がりの女の人のあの匂いだ。
すれ違ったあと、自分のこころのなかが満ちていく感じがした。
綺麗な人は、ただそこにいるだけで周りをしあわせにする。
ただ、あの人を綺麗だと思った自分になんだか”引っ掛かり”を覚えた。
くだらない引っ掛かり。
きっと「性」に関して凡庸だからいちいち引っかかるのだろう。
「きのうのあの引っ掛かりは何だったんだろう?」と思いながら、東横線に乗って二子玉川に向かっていた。
雨が降っていたので傘を持ってきたのだけど、電車の椅子に座ったとき、傘があるとなんだかモゾモゾする。
”余計な感覚”が増える。
折りたたみ傘を持ってくればよかった、と思った。
でも、折りたたみ傘だったら、もっと雨にぬれてしまう。
バッグをまさぐって、文庫本を取り出した。
松岡正剛の『フラジャイル』。
セイゴオさんの案内で、性の”向こう側”を覗いてみた。
230ページからの「ハイパージェンダー」のところを熟読。
前よりずっと「何か」を感じられるようになってきた。
でも、やっぱりなんだかモゾモゾする。
二子玉川に着いた。
やたらと人が多いなぁと思ったら、今日は祝日だったらしい。
勤労感謝の日。
二子玉川駅の広くて長い階段とエスカレーターがあるところで、下の方に降りていく沢山の人たちを眺めた。
ほとんどみんな傘を持っていて、その傘は刀みたいだった。
侍が街を闊歩しているのだ。
男も女も、刀をぶら下げて階段を降っていた。
蔦屋家電に入った。
モバイルバッテリーを探して、それっぽいのを見つけた。
銀色のゴツいヤツ。
となりにあったAnkerのスタイリッシュな急速充電器の方が断然かっこよかったけど、値段が倍以上する。
「まぁゴツいヤツでいいや」と思って、手に取ってレジに向かった。
会計を済ませたあと、併設されているスタバの方にいって、空いてる席がないか確かめた。
けれど、席は空いてなかった。
そのあと高島屋の方のスタバにも行ってみたけど空いてなかった。
いったん自由ヶ丘まで戻ることにした。
自由ヶ丘駅で降りて奥沢のスタバに行くと、レジカウンターの横の席がちょうど空いた。
満席だったけれど、ちょうど席に座っていたお姉さんが立ち上がって帰り支度をし始めたので、近くで少し待って、お姉さんが去ったあと、そこに座った。
奥沢のスタバに来ると、Friday night plansの『Just one wish』が聴きたくなる。
去年の冬、西小山のボロアパートに住んでいたときにこれを聴きながらクロスバイクでここまで通い詰めていた。
大岡山から九工大の前を通って、緑ヶ丘の方から自由ヶ丘駅に至る道。
いろんなことを考えながら通った道。
いろんな感情を見つめながら通った道。
この道とMasumiの声が、自分の中で固く結びついている。
まるで信仰のように。
「道と歌の結びつき」への信心。
他人に説明するのがむずかしいわけのわからない信心だけど、自分にはそういうヘンテコな信心のようなものがある。
ヘンテコだけど、確かな「信」がある。
結びついているから信じることになるのか、信じるから結びついていくのか。
きっとどっちでもあるんだろう。
いつか、きちんと言葉にして表現できるようになりたい。