モモ

 

  

  

こんばんは。

 

つくづく思うのですが、人の話を聴くって、どうしてこんなに難しいのでしょうね。

 

このまえ職場の同僚と話していていたとき、つい油断して自分の意見を勝手に口にしてしまって、その瞬間に同僚の顔がすこし曇った瞬間に、なんともいえない気持ちになりました。 

すぐに訂正して「もう一度ちゃんと聴きたい」と言いたかったのですが、仕事が忙しかったこともあって、嫌な思いをさせたままの状態で話が中断しました。

 

人の話をゆっくり聴く時間のすくない人生って、どこかで大切な何かを見落としているような気がします。 

 

 

 

 

 

 

「ここは掛け値なしにいいなぁ」と思うお店にときどき出会う。

そういうお店に行くと、結構な確率でミヒャエル・エンデの『モモ』が置いてある。

 

モモは、ひとの話を聴くのが得意だ。

ひとの話にジッと耳を澄ます力がある。

 

モモが好きな人たちだからか、お店にいるだけで、何も話してないのに「このひとなら大丈夫」と感じたりする。

そのお店、その空間、その気配が、「話を聴いてくれるひと」の心の動きをあらわすような、そういう作りになっている。

 

その空間には店主のその人なりの個性はあるのだけど、自分の個性を押し出す感じじゃなくて、自身の個性をつかってひとに寄り添おうとしているような、そんな感じがする。

自分の個性を「耳」にして、まわりの人の声に集中しているような、そんな感じ。

 

耳を澄ませて存在するお店。

話を聴く建築。

 

 

ひとのことを理解できなくても、せめて聴く耳をもつ姿勢をもてるように、ぼくも工夫しようと思った。

 

 

 

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