2023.01.16
代官山の蔦屋にいった。
ここは美術やデザイン系の本がいい感じなので、目の「うるおい」がほしいときによく行く。
20時ごろ、代官山は”パラパラ”と雨が降っていた。
リチャード・ミズラックの『Crimes and Splendors』と、上村勝彦の『バガヴァッド・ギーターの世界』を買った。
雨宿りもかねてスタバでお茶をした。
長机のすみっこの方に座って、さっき買った『バガヴァッド・ギーターの世界』をパラパラとめくった。
目次を”パラパラ”とよんでいると、「放擲」という言葉が印象にとまった。
自分のためでもなく、目の前の相手のためでもない行為。
放擲というのはそういうものと関係があるのだろう。
そう思っていたけれど、なにかしっくりこない。
吉福さんの本のタイトルになっていた『世界の中にありながら世界に属さない』というスーフィーの言葉にも、同じような「しっくりこなさ」がある。
「しっくりくる」ようになるにはどうしたらいいのだろうか。
考えてはみるものの、考えてわかることじゃないだろうと思った。
だから、「考え」を打ち消した。
たぶん、「考える」より「考えない」ことの方が大事なんだろう。
「考えない」ことの方が「放擲」に近づくには有効なんだと思う。
けれど、「なにも考えずにボーッとする」というのもまた違うんだと思う。
ふだん自分がしている「考える」とは別の「考える」をすること。
それを「考えない」という言葉に置き換えているんじゃないかと思った。
つまり、自分が思っているような「考える」ではない「考える」が、そこには存在している。
きっと「考える」にも色々あるのだ。
ギーターのなかには、「行為の放擲」よりも「行為のヨーガ」の方が優れていると書かれている。
「行為のヨーガ」は、ふだん自分がしている「考える」とは別の「考える」をすること。
ふだんの自分の「考える」を考えずに、ふだんの自分とは違う「考える」を”しながら”行為すること。
それが、行為のヨーガのひとつの側面なんじゃないか。
わけのわからないことを”考えて”いると頭が痛くなってきたので、帰ることにした。
雨が止んで、代官山駅から電車に乗って祐天寺に戻った。
駅前から続く通りを歩いていると、「キリンビール」のポスターがあった。
満島ひかりが微笑んでいた。
「一番搾り」と言っている。
カラカラに乾いたときに飲む「一番搾り」は美味いんだろうなぁと思った。
とりあえず、めんどくさいことは考えずにビールでも飲みたい。
(お酒飲めないけど)
(言ってみたかっただけ。)