三番煎じ

 

 

 

こんばんは。

お久しぶりです。

 

今日はホテルのカフェラウンジでボーッとしながら考えごとをしてました。

ハーブティを飲みながら窓の外の雪山をボーッと眺めていました。

ソファに身を預けてからだをゆるめていたのですが、頭は高速で回転していました。

考えたいことがたくさんあったのです。

 

考えたいことがたくさんあって、それについてあれこれ思案していたのですが、どこかつまらなかったです。

ふと、僕は自分のことばかり考えてるんだな、と気づきました。

自分のことばかり考えても、つまらないです。

当然です。

 

気持ちを切り替えて、湯気のたったハーブティーを啜りながら、ゆっくり呼吸を整えて、もういちど窓の外を眺めました。

お世話になった人、笑い合った友人、喧嘩をした上司、愛する家族。

まわりにいたひと、支えてくれたひとのことを考えました。

 

雪の止んだ空を眺めながら、もういちどゆっくり呼吸を整えました。

貴方は何を想っているのでしょう。

考えました。

 

 

今日も、空が広かったです。

いつも、空は広いです。

 

僕は、これからも空を見上げて生きていこうと思いました。

変わっても、変わらなくても、掴んでも、立ちどまっても、空を見上げて生きていこうと思いました。

晴れても、曇っても、雨でも、雪でも、見ていようと思いました。

 

いつだって、空は美しいから。

 

 

 

 

 

こんど東京に寄ったときはBLUE SIXに行こうと思った。

 

大学生のころ経営学部でビジネスの勉強をしていたのだけど、つまらなかった。

なんとなく自分で思い描いていた”理想”のようなものがあって、それを事業を通じて具現化したくて勉強しようと思っていたのだけど、イメージと現実の隔たりが思った以上に大きかった。

その「隔たり」に、悩んだ。

  

理想と現実のギャップに直面するのは若者の通過儀礼のようなものだ。

古今東西何も変わっていない。

そんなことはわかっているつもりだったけど、いざ自分が体験してみると、やっぱりけっこう堪えるものがあったりするものだ。

「これはもうダメやな」なんて思いながら、いったん諦めた。

  

意識では諦めたつもりだったけど、これもよくあるパターンで、やっぱり無意識の底の方で「何か」がずっと燻っていた。

そしてその燻っていた”熾火”のような気持ちが、とても大切なものだった。

 

「熾火のような気持ち」を抱えて生きていると、目の前に大事なものが現れたとき、自分の中の「何か」が反応する。

このときの「反応」は、とても微かなものだった。

微かだけど、ちゃんと心に引っ掛かる。

 

 

高城剛さん安達建之さんの活動を知って、「あ、これや」と思った。

理屈抜きで、「これやな」と思った。

  

我が強すぎるのか天邪鬼なのか、「他人と同じ道」を歩むのが僕は苦手だ。

お二人の活動を知ったときも、「理想」に近いものがみつかった”嬉しさ”のような気持ちと同時に、自分が同じようなことをやっても「二番煎じ」になるなという”退屈さ”のような感覚も芽生えた。

こっちにいっても、「他人と同じ道」だなと思った。

それは、どこかつまらないように思えた。

 

でも、「別の捉え方」もできるとも思えた。

”二番煎じ”でも”三番煎じ”でも、あの感じをカタチにするには「この道」がフィットするという確かさを掴んだから。

僕にとっていちばん大切なのは、”あの感じ”をカタチにすることだから。

 

 

安易にメインストリームに乗っかるのでもなく、正面から体制にぶつかっていくのでもなく、冷静に状況を俯瞰して「新たな動向」をつくっていく”カウンターカルチャー”の歴史。

この歴史をつないでいけるなら、この流れに付き従っていけるなら、それは名誉であり幸福だ。

まだまだ課題は山積みで、というかほとんど何にもできてなくて、これからもきっと時間は相当かかるけど、焦らず自分のペースで「新たな動向」をつくることに貢献できたらなぁと思う。

 

歴史に一矢報いるために。

より善い未来のために。 

 

 

 

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