①岡山紀行 

2022.11.02

 

 

  

羽田空港第1ターミナルのタリーズは蒸し暑かった。

10月下旬の東京の朝は寒かったので、たくさん着込んだ。

外は着込みすぎるぐらいでちょうどいいけれど、中に入るとすごく暑く感じる。

 

抹茶ラテのミルクをソイに変えてもらった。

店に入って最初に席を探して、席に荷物をおいて陣取って、それからレジに並んだ。

荷物を席に置いて放置していても何の心配もいらない。

そういうのは日本だけなのだろうか。

よく知らないけど、のほほんと生きていられる日本という国は愛おしい。

 

寝ぼけ眼をこすりながらパンパンになったバッグを開いた。

中から本を取り出した。

世界の中にありながら世界に属さない

「我が内なる師」のレクチャーをまとめた本。

これから彼の故郷の児島に”巡礼”にいく。

初めての岡山だ。

 

コロナ対策の透明のプラスチックで仕切られた席で本を読みながら、すこし周りを見渡してみた。

けっこうみんな厚着をしていた。

厚化粧の女の人も心なしか多いような気がした。

「そんなにいろいろ塗りたくって、気分が重たくならないんだろうか」と思ったけれど、まぁ、他人がとやかく言うことではない(言ったけど)。

 

本のページをめくりながら、これまで何度も目にしてきた言葉の連なりを追った。

「座右の書は何ですか?」と聞かれたら、「そんなものはありません」なんてありきたりな返事をするのもつまらないから、きっとこの本だと答える。

 

彼の言葉で、意識を点検した。

意識から、何かがボロボロ落ちていった。

何か落ちていく感覚を味わっていた。

「これは何味なのだろう?」

意味不明な疑問が浮かんだ。

 

おいしいけれど気持ち悪い感じのする生ぬるい抹茶ラテ。

レジの脇から「太いストロー」を間違って取ってきてしまった。

大は小を兼ねるではないけれど、太い分には問題ない。

太いストローで生ぬるい抹茶ラテを啜った。

 

カフェインで意識をかき混ぜた。

生ぬるい意識をどうにかして醒まそうと思ったけれど、どうにも怠かった。

とりあえずカフェインを注入した。

安易だと頭ではわかっているけれど、頭で理解しようが怠惰な意識は治らない。

まぁ、要するに馬鹿なのだ。

すこしでも油断すると易い方に流れるのは、自分の悪いところでもあるし、きっとこの世界全体の悪いところ。

 

個人と全体を安易に結びつけて考えたがるのも、怠惰のひとつの現れだ。

いつだってさぼりたがる。

いつだって自分の都合の良いように世界を眺めようとする。

自分の気に入った点と点だけを選んで像を結んでいく。

 

こういうさぼり癖はきっと完全には治らない。

でも、それを放置するのもどこか辛い。

どこか癪に障って気持ちが悪い。

だから、別の仕方で、「都合の良い世界」に属すことをやめようとしているのだろうか。

児島へ向かおうとしてるのも、そういう気持ち悪さへの抵抗なのだろうか。

きっとそういう抵抗の気持ちの、ひとつの現れなんだろう。

 

生きることは「気持ち悪さ」への抵抗の連続だ、と思う。

ずっと抗い続けて、でもまぁ、どうにもならなくて。

どうにもならなくても抗い続けて、きっとそのうち「死」が迎えにくる。

 

「死は最高の癒しだ」と、彼は言っていた。

それがホントだったらいいなぁと思いながら、冷たくなった生ぬるい抹茶ラテを飲み干した。

空っぽになったカップをゴミ箱に捨て、羽田空港の生ぬるいタリーズを出た。

暑化粧の女の人が、楽しそうに笑っていた。 

 

 

 

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