健康とリズム

きのうは朝刊が休みだったので朝の4時過ぎに寝て、起きたのは9時くらいだった。朝寝て昼すぎに起きるスタイルに移行中。

起きてから軽く瞑想した。そのあとに朝食を食べた。塩キャベツ、ワカメスープ、豆乳ヨーグルト。最近久しぶりに豆乳ヨーグルトを食べている。

豆乳ヨーグルトは「健康にいい」らしいけれど、ほんとにそうかな?と思う。ほんとにそうかな?と思いつつ、ぼくは「健康」のために豆乳ヨーグルトを食べる。

豆乳ヨーグルトを食べたいのは豆乳ヨーグルトにココナッツオイルを入れたいからで、それはドレッシングを舐めたくてサラダを食べることに似ている。ドレッシングの舌触りを求めてサラダを食べるように、豆乳ヨーグルトにココナッツオイルを入れて食べた。

ドレッシングやココナッツオイルが欲しくなるのはなんでなんだろう。ドレッシングもココナッツオイルも「メイン」ではなくて「サブ」だ。サブが不足しているからそれを補おうとしているのだろうか。それはつまりメインが過剰になっているということじゃないか。

頭の中に「シングルメッセージ」が駆けているとき、それは思考が硬直化する種や合図なんだと思っている。シングルメッセージというのは、言葉と言葉の意味が1対1対応になっていることで、言葉の意味の多義性が失われたもののことだ。シングルメッセージが過剰なのは、比喩が足りないから。

「あれはこうで、これはこう」。そういう考えがあまりにも強くなりすぎると、解釈が偏ってしまう。頭のなかが「メイン」でパンパンになって、サブが消えていく。だから、ドレッシングやココナッツオイルみたいな「サブ」を適宜注入したい。オイルを注ぐようにメタフォリカルに言葉を捉え、言葉の多義性を確保したい。

なんでメタファーが足りないと思考が硬直化するのだろうか、と考えた。そしてそれはリズムが悪くなるからだと思った。いや、もっというとリズムが単調になるからだと思った。

毎日同じものばかり食べていると、当然飽きる。単調な食事は端的に飽きる。だから単調なリズムを崩すアクセントが必要で、オイルやドレッシングをいろいろ変えながら食事をするのはリズム感をよくするためなのだ。

そう考えると、健康っていうのはリズムのことなんじゃないか、と思えてきた。

健康=正義、みたいなシングルメッセージ的な図式に違和感を覚えるのは、健康を静止したものだと思わせられるからで、そこに解釈の多様性がないからだ。意味の多義性がないからだ。

体の調子というのは日々移ろっていくもので、日々変化していくもので、それは動的なものなのだから、そこにはリズムがあるはず。そのリズムが整っていることを健康と呼び、そのリズムは個々人によって当然ちがうはず。

だから健康というものも、アクセントを伴う動的でメタフォリカルなものとして捉えたいし、そう捉えるとスッキリする。健康=リズミカル。こういう風に「健康」を捉え直して、体の調子を整えていきたいと思う。

ところで、ココナッツオイルを食べても、体の調子が良くならないのは、なぜだ?

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