鉢の子に 菫たんぽぽ こきまぜて
三世(みよ)の仏に たてまつりてむ
良寛
小樽に向かう電車に乗っていました。札幌駅で電車から降りたのですが、電車の中にバックパックを忘れました。到着早々の大きな忘れ物です。
”らしさ全開”の北海道生活のスタートです。ふつう、「自分の背負ってる荷物」を忘れたりしませんよね。札幌駅に着いて「なんかカラダが軽いなぁ」「札幌って体に合うかも」なんて思ってたら、生活道具を置いてきてたのです。そりゃあ”カラダが軽い”はずです。自分でも笑っちゃいました。
「小樽にも行ってみたかったし、ちょうどいいや」と、自分の間抜けさを正当化しながら(!)、海沿いの路線を走る電車から「冬の海」を眺めていました。
この「冬の海」は、実は、ずっと昔から憧れでした。
高校生の頃に『凍りのくじら』という辻村深月さんの小説を読んだのですが、その中に「北海道の北西部の海」が出てくるのです。
この小説は、人生の節目ごとにぼくを支えてくれました。物語は人生を支えてくれて、どんな場所にいても人は光に導かれるということを、この小説に教わりました。
この本もぼくを北海道に向かわせたひとつのキッカケです。いろんなキッカケが複雑に絡み合いながら、今の自分の行動に影響を与えています。いろんな影響を振り返って想像するのが楽しかったです。
いろんな影響を振り返って想像してみると、そこには「過去のできごと」しかないのに、いつもなんだか「新しさ」のようなものがあります。「過去」だから、ホントは新しくはないのだけど、いつも新鮮で色褪せない「何か」があり、それは単なる「郷愁」や「哀切」では割り切れません。
ほんとは色褪せてるはずのものに、新たな光が差し込んでいるように見えます。その光ができごとを「再生」させているように思えます。「未来に照らされる過去が、今この瞬間にある」とでも言えばいいのでしょうか。
そんなことを考えていたからか、窓の外に見えるどんよりとした冬の海が、なんだか意味ありげに見えてきました。小樽の海は、ちょっとどんよりしていて、でもなんだか軽やかでした。どんよりしているのに軽やかで、どこか「覚悟が決まった表情」にもみえました。
「夏のひるの海」や、「夕暮れどきの海」とはまた違った魅力があり、またひとつ新たに「海の表情」に触れられました。
もっと、いろんな表情が見たいです。