(10) 地球岬

 

 

 

最も不自然なものもまた自然である。至る処に自然を見ない者は、どこにも自然を正しく見ない。

『自然に関する断片』 ゲーテ

 

 

 

白鳥大橋の上で車を走らせていた。地球岬に向かっていた。相変わらず米津玄師の『地球儀』を繰り返し聴いていた。

この日は”地球な気分”だった。

地球岬もテッチャンに教えてもらった場所だ。テッチャンはやっぱり「地球案内人」なのだろう(意味不明)。

 

ひとりで音楽を聴きながら車を運転する時間が好きだ。

運転という作業に気を取られながら、ぼんやりと音楽をきいたりぼんやり考えごとをしたりぼんやりと記憶を辿ったりする。そういうのが気持ちいい。

 

感覚が抑えられている微妙な状況で頭に浮かんでくるものは、「ちょうどいい」ものが多い気がする。

海沿いの町を遅くも早くもない速度で走る車の列に並びながら、「ちょうどいいなぁ」と思った。

 

地球岬展望台についた。陽が沈むまであと1時間だった。ゆっくりしようと思った。

車を降りてトイレに向かおうとすると、自販機が並んでいるのが見えた。

並んでいる自販機の中に、アンパンマンの自販機があった。

「やっぱマヤもいるじゃん」と思った。アンパンマンのことを教えてくれたのはマヤだったのだ。マヤもたぶん「地球案内人」なのだろう(意味不明)。

 

ゆっくり歩きながら展望台に向かった。岬はきっと寒いだろうと思ってかなり着込んできたけど、やっぱりとても寒かった。

ポケットに手を突っ込んで肩をすくめながら坂を登っていくと、海が見えてきた。

広大だった。

とても寒くて体は縮こまっていたけど、心はどんどん広がっていった。

 

色んな角度から海を眺めた。

何も変わらなくて、何もかもが常に変わっているような、そんな海。

遠くから眺めていれば綺麗だし、潜って眺めてみるとこれまた綺麗だし、でもやっぱり恐ろしい存在でもあって、いつかは飲み込まれるかも知れないなぁなんて思った。

 

自然が人間に優しい姿を見せているのは、きっと偶さかの出来事なんだと思う。色んな偶然が重なって、今はたまたま優しい姿を見せてくれているんじゃないかと思ったりする。

「自然界は必然的で機械的なプロセスにしたがって動いている」みたいなことをホッファーが言っていた気がするけど、人間である自分が見る「自然」は、偶さかのものを含んで動いていると感じる。

「ホントの世界」がどうなっているのかはわからないけど、「この世」は必然だけで成り立っているわけじゃなく、そこにはやっぱり何らかの偶然もあって、偶然と必然が混ざり合って成り立っているのが実際のところなんだろう。

何が偶然で何が必然なのか。そんな途方もないことを考えようとしたけど、広大な海を眺めていると、今はそんなのはどうでもいいやと思った。

 

白い灯台がみえる。青い海と青い空の水平線がその先にある。水平線のうえに雲が遠慮がちに浮かんでいた。

遠慮がちに浮かんでいる雲のちかくには、黄色と赤がすこしだけ顔を出している。ほんのすこしだけ。

ほんのすこしの黄色と赤が、青い海を綺麗に魅せていた。

 

海と空と水平線をぼんやりと眺めながら、また、ステキな案内人たちのことを思い出していた。

思い出の中の二人に会うのと、実際に二人に会うのとで何が違うんだろう。

そんなことを考えていた。

そんなことを考えていたけど、綺麗な青を見ていると、やっぱりそんなことはどうでもいいやと思った。

 

白鳥大橋で見た海よりも青い海を眺めながら、そんなことを考えていた。

体がすくむほど寒い岬でみる海は、やっぱりとても青かった。

 

それは、やさしい青だった。

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