(1) 252、生存者あり。

 

 

 

大きな必然は人間を高め、小さな必然は人間を低くする。

 

リーマーへ ゲーテ

  

 

 

  

晴れた雪道を歩いていると、「252」というナンバープレートと「YES」という文字が刻まれた看板が目に入ってきた。

「252」は東京消防庁の無線用語では「生存者(要救助者)あり」を意味するが、これは何か宇宙からの「メッセージ」なのか?

と、脳が早速「連想」を始めた。

 

生きていく上で知っておいた方がいい「3つのルール」というものを昔教わって、今日久しぶりにそのことについて考えてみたのだが、実によくできたルールだった。

宇宙のルール、地球のルール、人間のルール。

あらゆるルールをいったんこの3つの大分類にわけてみて、この大分類に従うと幸せになれるということだった。

地球が幸せになるには宇宙のルールに従う方がよく、人間が幸せになるには地球のルールと宇宙のルールに従う方がよい。

宇宙のルールというのは、太古から不変の「原理」のようなものだという。

それは言い換えると「自然の摂理」のようなものであり、なんとなく一部の勘の良い人たちが察している事柄のことだろう。

 

この「自然の摂理」は、実は自分の「内」でも感じ取れるものだ。

「自分が自分に嘘をついているとき」は、自分の内でその「うそ」を感じ取ることができる。そのときは「自然の摂理」に背いているわけで、人類には皆その「うそ」を感じ取ることができる機能が与えられているわけだから、自分に嘘をつくと”モヤッとする”のだ。自分の本心に「雲」がかかったのを確認するように。

 

「月」とか「太陽」とか「雪」とか「人類」とか、「大きなワード」で思考するメリットは、人間のルールを地球のルールや宇宙のルールとつなげて考えられるところにある。

「大きなワード」を使って思考しているとき、なんとなく”モヤッと”することがあれば、それは「自然の摂理」に背いた考えをしているという証拠なのだ。

「連想」によって「言葉」や「数字」で宇宙と自然と人間を「連動」させようとするのは、古来から詩人と呼ばれる実質は社会不適合者に他ならない人たちが行なってきたことだ。

彼らの行為が「自然」なのかどうかはわからないが、社会が「不自然」なときに彼らのような社会不適合者が”生き残り”をかけて自然の摂理を見出そうと躍起になるのも繰り返される宇宙のパターンで、宇宙が定期的に不適合者を世に送り出すのはきっとこれからも変わらない「原理」なのだろう。

社会に適応できようができまいが「それでも人生にイエスという」ことはいつだって可能であり、生命力に満ちた「落ちこぼれ」が宇宙に包まれて生きるために「言葉」を探しているのは、きっと自然の摂理にかなっている。

 

「252、生存者あり。」

ナンバープレートに宇宙からの無線交信が届いている気がするのは、どうやらぼくが社会不適合者だからではないか。

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