こんばんは。
このまえ久しぶりにブランコに乗りました。
小学生のころ、「揺れるブランコから飛び降りて、誰がいちばん遠くまで飛べるか」という遊びをしていたのですが、ふさしぶりにあの危なっかしくも爽快な感覚を思い出しました。
次第にブランコでは飽きたらなくなって、砂場のちかくの公衆便所の上によじ登り、「そこから飛び降りた奴が勝者」というゲームをしたりしました。
「飛び降りた奴が勝者」なんて、いま振り返ると意味不明なのですが、当時はそんなことに”熱中”してました。
どうしてそんなことに熱中できたのか、とすこし考えてみたのですが、きっと退屈じゃなければなんでもよかったんですよね。
”怪我”を恐れて「安全牌」ばかりに手出しするような、そんな退屈な日々に飽き飽きしてきたら、たまにはあの頃の感覚を思い出すのもいいなと思いました。
まぁ、ブランコから飛んでも死にはしないし、公衆便所というちょっとした「高所」とはいえ飛び降りる場所は砂場なので、そんなに危険じゃないんですけどね。
退屈凌ぎ程度なら、”ちょいアンパイ”でOKです!
「進化」という言葉がつかわれている言説に触れると、結構な確率で疑念を抱く。
最近その疑念の正体がちょっとずつわかってきた。
「進化」というもののイメージを「上昇」として捉えれているものに触れるとしっくりこない。
「進化」というもののイメージを「下降」として捉えているものに触れるとしっくりくる。
ことがある。
ときどき。
とにかく「上」を目指せという物言いを鵜呑みにして育ったからか、昔は「進化」というものもそれと同じものだと無意識に思い込んでいた。
だけど、それは間違いだった。
天から舞い降りてくる雪を眺めているとき、ハッとさせられる。
落ち切った雪ではなく、天と地のあいだにある雪。
空中で結晶化する白いものたち。
中間だけにあるもの。
冬の天体サーカス。
今年も雪に癒されている。
北海道にきて、また、前よりもっと、冬が好きになった。