いついつと 待ちにし人は 来たりけり
いまは相見て 何か思はむ
良寛
ぼくは昔、光をみたことがあります。暗い海の底にまで届く光です。
ある日、ほんのすこしその「光」を浴びました。ほんのわずかな瞬間に差し込んできた光が、いまのぼくの人生をつくっています。
朝、成田空港から「ラッキースプリング」にのって新千歳空港へむかいました。
飛行機の座席に座ってぼんやり前をみていると、前の方の壁に「春秋航空」という文字が打たれていることに気づきました。「中国の航空会社かな?」と思いました。
どうしてその文字が気になったのか、自分の感覚を振り返って観察しました。
ピンとくる言葉や図像があると、それを象徴的に解釈し、その象徴を追想する癖があります。
無意識のなかで何かを求めていると、外を眺めている意識にその「何か」が象徴として反映されるのでしょう。よく、「投影」という言葉で表される現象です。
「投影」という言葉は、最近、いい文脈で使われることがあまりないようです。
けれども、ぼくは「投影」なる現象が悪いものばかりだとはおもいません。
今朝は心地よい目覚めでした。なんだかありがたい気持ちで目が覚め、胸の奥の方までポカポカしていました。
そして、すこしずつ北海道に行く実感がわいてきました。
最近のぼくは何だか鈍感で、何事につけても「実感がわく」のが遅くなっています。これは、なんだかよくない気がします。
「大事なことに後から気づく」というと、なんだか「不幸」を予期させます。ぼくはもう、「不幸」には囚われたくない。
新千歳空港につきました。雪がふっていました。外は、なんだか暗かったです。空港の発着場は、なんだか暗かったです。暗い場所に、白い雪が降り注ぎ、積もっていました。
白い雪が、明るかった。
「明るい雪」はふわふわと舞っていました。ふわふわと舞って、やがて地に足をつける。地に足をつける数が増えれば増えるほど、重たくなっていく。
地に足をつけて重たくなっていく雪には、舞っているときの雪ほどの魅力がないと感じました。そう感じるのは、どうしてでしょう。
そんなふうに感じる自分は、間違っているような気がします。
「どうして地に足をつけなきゃいけないのか」。いまだにそんなことを考えてしまいます。「現実」と向き合うことから逃げたくなります。
地に足をつけたいのに、それを嫌がる自分がいるのです。それを嫌がる自分の方が「きれいな景色」をみつける力を持っていると思っているのでしょう。そして、その力を失うのが怖いと思っているのでしょう。
でも、きっとそれは「思い込み」なのです。本当は、地に足をつけても「きれいな景色」は眺めていられます。「地に足をつけると何も見えなくなってしまう」という思い込みがあって、それに捉われているのでしょう。
間違っているのは地に足をつけることではなく、重たくなっていく雪でもなく、「自分の思い込み」なのです。
「思い込み」が少なくなれば、「別の景色」がみられるんだとおもいます。
この思い込みをなるべく溶かしたいです。思い込みを溶かして、自分で自分に「別の景色」をみせてあげたい。
雪は、いずれ溶けます。雪がきれいだと思えるのは、それがいずれ溶けると知っているからです。いつか「姿を消す」と知っているから、それを大切におもえるのです。
いつか姿を消してしまうのは寂しいけれど、「無」になるわけではないと知っています。
「姿を消さずに、ずっとそのままでいてほしい」というのは不自然です。移ろい、変化していくものに対してぼくたちが取るべき態度は、見守ることです。
「見守る」と口にするのは簡単ですが、それを実行するのは難しいです。
でも、姿を消しても「無」になるわけではないと知っていれば、しかと見守ることができるのでしょう。
本当は「姿を消す」わけではなく、「姿を変える」だけなのです。
それを知っている人は、あたたかく見守る力を持っている。
「姿を変える」だけだから、またどこかで形を変えて会えると知っているのです。
別に、「死後の世界」の話だけじゃありません。ぼくたちは「いま生きている世界」で、日々変化しています。
お互いに変化し合い、お互いの色んな側面と出会い、別れているのです。
その変化を見届け合える世界に生きているのです。お互いの変化を眺めながら影響を受け、影響を与え、「変わり合っていける世界」に生きているのです。
ぼくらが雪を眺めているだけでなく、雪も、きっとぼくらを見守ってくれています。眺めているのは、自分だけではないのです。
自分だけが孤独に世界を眺めているわけじゃないのです。世界を達観してわかっているような気になっているのは、勘違いです。
ぼくたちは、独りじゃないのです。
雪はいずれ、水に変わります。雪もいずれ、「海に還る」のです。
海に行けば、また会えるのです。
春がきたら、また一緒に海を観に行きたいですね。
それまでは、きれいな雪を楽しみましょう。