④岡山紀行

2022.11.05

 

 

 

美味くも不味くもない寿司を食べたあと、「ジーンズストリート」に向かうことにした。

Googleマップをみると350メートルぐらいの距離らしい。

カメラをぶら下げて、のんびり歩いた。

 

きれいに舗装されたアスファルトの上を歩いていると、右手に大きな病院と小さな公園があった。

何組かの親子が公園で遊んでいた。

日曜日の午後のなごやかな空気のなかで、公園で遊んでいる人たち。

公園の向かいにある病院が、なんだか「肝っ玉のデカいおばあちゃん」みたいに見えてきた(なんで?)。

酸いも甘いも知ってしまった「おばあちゃん」が、近くでみんなを見守っているみたいだった。

 

病院と公園が見えなくなって、児島の「住民センター」みたいなところが見えてきた。

なにかのイベントをしているみたいで、開けた場所の緑の広がっているところにテントがいくつか張ってあった。

住民センターみたいなところを抜けると、ようやくジーンズストリートの入り口に差しかかった。

すこし気分が高揚した。

ジーンズが欲しいわけではなかったけれど、児島の「藍」をこの目で確かめたかった。

観光客がちらほらいて、やっと「観光地」っぽい風景が見えてきた。

 

通りに入ると、懐かしい匂いがした。

実家のクローゼットの匂いだった。

家族で服を買いに行ったときのデパートの匂いもした。

「ジーンズの匂い」は、どこにいっても同じなんだと思った。

 

どこにいっても同じだけど、すこしだけ感覚が変わっていくような気もする。

同じような匂いの中にある、すこしだけ変わっていくような何か。

そのすこしだけ変わっていく「何か」につられて、どこに辿り着くかわからない旅を楽しんでいるんだろう。

 

特になんに惹かれるわけでもなく、ジーンズストリートを巡り終わった。

児島駅方面に戻る途中、「天満屋ハッピータウン」というデパートがあった。

そのデパートの本屋に行くことにした。

 

川上弘美の『ぼくの死体をよろしくたのむ』と、重松清の『流星ワゴン』を買った。

旅先で本屋に寄ると、良い本に出会う。

旅先では、「次にどこに向かえばいいのか」を教えてくれるような本に出会うことが多い。

 

吉福さんが言っている「存在の力」というものが、よくわからなかった。

思考の力、感情の力、存在の力、関係の力。

人を突き動かす力には、4つの力があって、そのうちのひとつがそれだと彼は言う。

 

存在の力は「アイデンティティの死」によって強くなっていくものだと言っていた。

自分が自分だと思っている自分が、実はそうではないと気づくこと。

「これが俺なんだ」という自我意識を手放すこと。

そうやってアイデンティティを少しずつ破綻させていくと、「存在感」が出てくると言っていた。

きっと上っ面の自我意識を捨てると、深層にある「本物の自我意識」が出てくるのだと思う。

最も重要なのは、自我を破綻させることそれ自体ではなく、「新たな本物の自我」を浮上させることなのだ。

 

ただ、「本物の自我意識」を浮上させることが最重要であるとはいえ、”死んでしまった自我”にも何か意味があるんじゃないかとも思う。

”死んでしまった自我”が、「存在感」をつくり出す。

そういうこともあると思う。

 

過去の自分の「死体」が、今の自分の雰囲気をつくっている部分もあるんじゃないか。

人が持つ”独特の雰囲気”というものは、その人の「敗北の歴史」みたいなものなんじゃないか。

吉福さんの言葉をとっかかりに色々と精神的な作業をやっていると、そんなふうに思えてくる。

 

 

 

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