いま、高野山の”奥の院”の近くのカフェにいます。
奥の院は弘法大師空海が入定された場所(死を迎えた場所)で、そこには生死を超えた存在である弘法大師が今でも存在していると信じられているそうです。
”夢”のような話ですが、会えるのなら会ってみたいですね。
ちなみに、このまえ実際に奥の院に行ってみたのですが、空海さんには会えませんでした(!)。
ぼくの前にいた白人の女性が持参したらしい『般若心経』(色即是空!)を片手に、空海さんのいる山林に向かって祈りを捧げてました。
空海さんには会えませんでしたが、やはり、何か感じるものがありました。
この世界は実際に足を運ばないとわからないことだらけだなぁ、と、改めて思いました。
ところで、このブログで何度も取り上げているのでご存知かもしれませんが、僕は松岡正剛さんの『空海の夢』に相当影響を受けてまして、この本に影響を受けることになった”原体験”のようなものが、消防の仕事をしようと思った高校生の頃にありました。
貴方にとっても有益な部分があるかもしれないので(勝手に期待しているだけです!)、いつか、その話もできたらいいなぁと思っています(はい、ただ単に自分が話したいだけです!)。
では、今日も未来の「糧」を見つけに行きましょう。
探しものはなんですか?
まだまだ探す気ですか?
夢の中へ夢の中へ
行ってみたいと思いませんか?
Uh-uh-uh,uh-uh-uh
Uh-uh-uh さあ
『夢の中へ』 井上陽水
「宣誓書」を読まされた後、バスで「訓練研修センター」というその名の通りの施設に向かった。
私はこの後約2ヶ月間ここで訓練を受けることになった。
ここでの2ヶ月に関しては、今でもいい思い出だ。
正直もう二度とこの頃に戻りたくないし、苦しかった記憶ばかりだ。
しかし尊敬する指導者や共に過ごした同期のことを思い出すと、「いい時間だったな」と思う。
「いい時間だったな」と思うし不満だったこともあまり思い出せないが、やっぱり「不思議なこと」はいくつかあった。
「訓練日誌」と呼ばれるものがあった。
その日の”日直”が記入する「ノート」があったのだが、あの「ノート」のことを思い出すと、その後の職業生活全般に通底していた「不思議さ」が、その「ノート」にすでに胚胎していたと気づく。
研修日誌をはじめ、役所の仕事には「報告書」がいつも付き纏う。
報告書を書いて上司に提出し「ハンコ」を仰ぐのだが、どういうわけか「本音」と言わずとも「ホントっぽいこと」を書くと”訂正”を迫られる。
きっと最初は誰しも「これは何なのだろう?」と思ったはずなのだが、気づけばこの”訂正”になれてくる。
「誰に何を報告しているのだろう?」という気持ちさえ”訂正”させるような妙な力がそこには働いていた。
この「妙な力」が渦巻く空間にいると息が詰まってくる。
そこにいる人たち一人一人と個別に付き合うと”まとも”な人なのに(そうじゃない人もいる)、「みんな」になるとどういうわけか”まとも”とは呼べない人に「変装」していた。
「みんな」で過ごす場所はまともに”呼吸”ができる空間ではないから、「変装」する必要があったのだろうか。
火災現場へ向かう際と同様に「防火服」や「空気呼吸器」を着装し、”別の場所”から酸素を取り入れて身を護っていたのだろうか。
まともな「呼吸」をするために必要なのは、”何”のためにそれを「報告」しているのかを自分なりに知ろうとすることだ。
”誰”のためにそれを「報告」しているのかを自分なりに知ろうとすることだ。
まずはその「意欲」が必要だ。
そうしなければ、現場活動に備えて”待機”する場所であるはずの消防署の中で「変装」するような訳のわからない状態に陥る。
「意欲」があれば、「妙な力」にも抵抗できる「免疫力」のようなものが芽生える。
あなたには今、その「免疫力」があるだろうか。
免疫力が弱まっているな、と思ったとしても大丈夫だ。
”あの頃”そうだったように、その「意欲」を掘り起こせばいいだけだから。
掘り起こし方がわからない、と思ったとしても大丈夫だ。
そのうち教えるから。
嫌というほど。
最後に念の為言っておくが、「報告」も「訂正」も本来悪いものではないぞ(もちろん変装も)。