きのうは新月だった。昼間、車に轢かれた。事故にあった。
クロスバイクに乗っていた。信号が青になる寸前の交差点をまっすぐ進もうとすると、赤になったはずの道路に”最後のひと踏ん張り”を効かせた白のワゴン車が突っ込んできた。たぶん、目の前の信号は青になる直前で、その横側にある信号は、赤になってほんのコンマ数秒も経ってなかった。赤と青のあいだの空白の時間。新月のような時間だった。新月のような時間に、ぼくはクロスバイクと一緒に横道に押し流された。
衝突の瞬間はいつも、時の流れが変わる。空中から水流の中に放り込まれるような感覚。ぼくは、車に轢かれながら、水の流れに押し流されるときのような心地よさに身を委ねた。流れに身を委ねれば、勝手に受け身がとれる。重傷は回避できた。”それなりの打撲”で済んだ。
運転手のおばちゃんとは和解した。警察を呼ぶのが面倒で———いや、面倒というより、アクシデントが起きたときに「とりあえず警察を呼べばいい」みたいな雰囲気が嫌いで———おばちゃんに「警察は呼ばなくていいと思っている」と伝えた。おばちゃんもそっちの方が都合がいいようだった。
「ルールの番人」を呼べば何でも解決できる、という雰囲気。あの雰囲気が嫌いだ。嫌いだから、それを敏感に嗅ぎとってしまう。この時も、近くで交通警備をしていたおじちゃんが、スマホで警察に通報しようとしていたのをすぐに見つけた。まずはおばちゃんと話がしたいからやめてくれと伝えた。
ペダルの根本がねじ曲がり、チェーンが噛み合わなくなったクロスバイクをどうにかこうにかしようとしていると、さっきの交通警備のおじちゃんが直すのを手伝ってくれた。普段ロードバイクに乗っていて、大会に出たりしているほど自転車に馴れてる人で、興奮気味に「部品の名前」を連呼していた。
しばらくして、警備のおじちゃんと一緒の工事現場で仕事をしていた「作業着のおじさん」がきた。バールを持ってきてくれた。「これなら直るかもしれない」と言って、バールをペダルの近くの部位に当てて、曲がった骨を元に戻すみたいに治してくれた。精悍な雰囲気で、なおかつやさしい笑顔の持ち主だった。
おじちゃんとおじさんは、やたらとぼくの体を心配してくれた。何度も「体は大丈夫?」と聞かれた。感覚的には大丈夫だったので(ホントのところはよくわからなかったけれど)、「受け身がとれたからたぶん大丈夫っす」と答えた。
自転車がある程度治ってきて、みんなで笑いながら「マジやばかったね」なんて言い合っていた。消防署にいたときのことを思い出した。現場から帰ってきた後、隊長にジュースを奢ってもらって、皆んなで一息つく時のような心地よさ。
「帰ってこれてよかった」と思った。