残ったホコリ

 

 

 

11時半ごろに目が覚めた。

朝、コーヒーを飲んだからか、目覚めたときに気分がアガっていた。布団の中で観念が掃除機の音みたいに錯綜していた。

なんだか戦闘的な気分だった。

枕元に置いてあった『バガヴァッド・ギーター』を手にとって乱暴に体を起こした。

 
 
顔を洗いながら今日の予定を思い出していた。そうじをする予定だった。

白菜と豚肉の白だしミルフィーユをレンジで7分半温めているあいだ、なんとなく本棚を眺めた。

岡本太郎の『孤独がきみを強くする』を手にとって読みはじめた。

「チン」という音がした。白菜の水気と白だしがヒタヒタに浸ったミルフィーユをレンジから取りだして、太郎さんの言葉と一緒に飲み込んだ。

 

 

いまままでの自分なんか、蹴トバシてやる。
そのつもりで、ちょうどいい。
自分に忠実だなんていう奴に限って、
自分を大事にして、自分を破ろうとしない。
社会的な状況や世間体を考えて自分を守ろうとする。
それでは駄目だ。
社会的な状況とも世間体とも闘う、アンチである、と同時に
自分に対しても闘わなければならない。
これはむずかしい。きつい。社会では否定されるだろう。
だが、そういうほんとうの生き方を生きることが人生の筋だ。
自分に忠実に生きたいなんて考えるのは、安易で、甘えがある。
ほんとうに生きていくためには自分自身と闘わなければ駄目だ。
自分らしくある必要はない。
むしろ”人間らしく”生きる道を考えてほしい。

P28 『孤独がきみを強くする』 岡本太郎

 

 

ぞうきんで床を拭いていた。手を車のワイパーみたいに左右に動かしていると太郎さんの言葉の残響が聴こえてきた。

光を取り戻していく床と、それでもそこに残っていくホコリ。完璧にはならない。完璧にはキレイにならないけれど、それでも手を動かし続けた。

なんだか気持ちが熱くなってきて、「ボロボロの雑巾と一体になろう」みたいな気持ちになった。高校球児みたいな熱気。ちょっと暑苦しい。

でも、手を動かしていると、雑巾の表情がなんだか涼しげに見えてきた。熱のある涼しさだった。

 

そうじをしていると戦闘的な気分がほぐれてきて、でも、なんとなくエネルギーを燃やしきれていない感じがした。筋トレでもしようかなぁと思った。「無目的な筋トレがしたい」と思った。

「無目的な筋トレとは何か?」とかなんとかめんどくさいことを考えていると、消防学校のときの教官のことを思い出した。

いつも飄々としていて、軍隊の鬼軍曹の暑苦しさとはかけ離れた教官。真夏に防火服を着て10キロぐらい走っても、涼しげな顔をしていた。

いつもふわふわした顔で泰然と訓練をしていたあの人は、いったい何と闘っていたのだろう? いや、闘わずして走り抜けていたのだろうか?

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