(6) 気がする

 

 

 

気前がよければ、人から好意をうける。特に気前のよさが謙遜を伴う場合に。

『格言と反省』 ゲーテ

 

 

 
 

「holiday market toya」を出たあと、すぐ隣にある洋食屋さんにいった。「望羊蹄」というところ。ボウヨウテイと読むのだろうか。

店に入ってすぐ左手に曲がり、その奥にあるテーブル席に座った。窓際だった。

背中側の壁にポスターが貼ってあった。映画のポスターだった。『しあわせのパン』という映画。

あたまの中で、矢野顕子と忌野清志郎の『ひとつだけ』が流れはじめた。

 

 

 

欲しいものは たくさんあるの

きらめく星くずの指輪

寄せる波で 組み立てた椅子

世界中の花 集めつくる オーデコロン

けれども今 気がづいたこと

とっても大切なこと

欲しいものは ただひとつだけ

あなたの心の 白い扉 ひらく鍵

 

ひとつだけ』 矢野顕子 With 忌野清志郎

 

 

 

この映画の主題歌だった。はじめて一人暮らしをしていたころ、この曲にハマっていたのを思い出した。

はじめての一人暮らしとこの映画に何の関係があるのかわからないが、ともかく好きだった。

映画のキャッチコピーは、「わけあうたびに わかりあえる 気がする」だった。

ぼくは昔からずっと変わっていないみたいだ。「わけあう」とか、「わかりあえる」とか、そういうのが好きらしい。

そういうのが好きというか、そういう言葉が好きらしい。

「わけあう」とか「わかりあえる」とか、そういう言葉はあまりたくさん口にすると価値がさがる。そんな気がする。

でも、たくさん口にしてしまう。きっとぼくの心はお腹が空いているのだ。 

「しあわせのパン」の撮影地がこの近所にあるらしい。「月浦」という町。行きたいと思って、すぐにGoogleマップで「月裏」と検索した。

映画の中のパン屋さんの舞台になったカフェがあるらしいけれど、車じゃないと行けないみたいだった。ざんねんだ。

 
すわっていた椅子の隣に置いていたバックパックの中から文庫本を取り出した。『フラジャイル』。ここ数年ずっと読んでる本。

「弱さの強さ」についてずっと考えていた。何かをつかもうとしていた。けれど、気づいた。

それは、掴むものでも掴めるものでもなかったのだ。

掴めるようなものではない。ということに気づいた。この気づきは大きな収穫だ。

フラジリティは、つかもうとすればフワッと舞ってどこかへ去っていくようなものなのだ。

 

それはたぶん、「わけあうたびに わかりあえる 気がする」ようなものなのだ。そんな気がする。

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