そばで感じる

 

 

 

朝刊がトラックで運ばれてくるまで、股関節のストレッチをしていた。

朝の風はすこし冷たかった。今日はそれが心地よかった。

 

朝刊が終わって家に帰り、8時半ごろまで寝た。今日は、夜に寝たときも、帰ってから朝に寝たときも、夢を見なかった。

夢を見ずに起きたときはなんだかボーッとしている。

 

凧揚げみたいに空を舞って風に身をまかせていた。風が勝手にバランスをとっていた。でも、気づけば「雲のうえ」にいて、風が吹かなくなった。風の吹かない空でバランスがとれなくなった。何をすればいいのか、わからなくなった。

 

そんな感じでボーッとしていた。

 

10時ごろまで『楽園瞑想』を読んでいた。吉福伸逸さんと宮迫千鶴さんの対談本。読んだのは二回目だった。前に読んだときの思考や感覚がよみがえってくる部分もあったけれど、ほとんどの部分が新鮮だった。新鮮に読めた感じもしたし、ちょっと追いつけない感じもたくさんあった。

きっとこれからも読み返していくんだろうなぁと思った。

本でも人でも、自分の中の思考や感覚が熟しているタイミングと、相手のそれが合わさったときに本格的に「出会える」のだと思う。自分の”人生の季節”と相手の”人生の季節”がうまく巡り合ったときに、「出会いの果実」の甘さを味わえる。互いの季節が違えば、苦さを味わうことになる。生きるということは、だいたいそんなもんだと思う。

 

昼頃、大学の学生証の更新のために渋谷に行った。

学習センターの入口の自動ドアは、ロックされていた。

着いたときに職員の人に連絡をして、解除してもらう手筈だった。

電話をすると、女の人が「今からいくのでお待ちください」と言った。

声にすこし「かたい部分」があった。

ドアが開いた。ぼくは女の人の表情を直接ゆっくり眺めた。直接ゆっくり眺めて、挨拶をした。

さっきの「かたい部分」がとれていた。声に「やわらかさ」が増していた。

古い学生証を渡して、そのあと、3分ぐらい椅子に座って待っていた。

窓口に呼ばれて、新しい学生証を受け取った。

名前や電話番号を記入すると、手続きが終わった。あっさりしていた。

 

2ヶ月前くらいから「学生証の更新に行かなきゃなぁ」と思っていた。

その2ヶ月くらいのあいだ、頭の中にモヤっとしたものがあった。

「雲みたいな気分」が、ずっと頭の中にあった。

 

2ヶ月も雲と一緒にすごしていると、活力が削がれる。モヤっとした気分があると、無駄にエネルギーを消耗する。

実際に手続きに渋谷までくると、ものの5分でそのモヤっとした気分が晴れた。

あの2ヶ月間の「モヤモヤした時間」はなんだったんだろうと思った。ほんとに無駄な時間だった。

直接出向けば気分が晴れることはわかっていた。

さっさと行けば良かったのだ。

 

ただ、よく考えると、「さっさと行く」以外にも気分を晴らす方法があったんじゃないか思った。

”直接出向かず”に、気分を晴らすやり方があったんじゃないかと思った。

 

出向かずに過ごした2ヶ月の間に、”開いたドアの先”にいる、女の人の晴れやかな顔や柔らかな声をイメージできていれば良かったんじゃないか。

あの「晴れやかな顔」と「柔らかな声」が”想像”できていれば、「雲」はどこかに消えていっていたんじゃないか。

「直接」でなくても、自分の中で鮮明に”想像”できていれば、モヤモヤせずにすんだと思う。

モヤモヤしてエネルギーを無駄にすることはなかったと思う。

 

普段から、人の「晴れやかな顔」とか「柔らかな声」とかそういう温度のあるものを、”そば”で感じられるようにしよう。

雲の上にいるような気分で、そう思った。

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