歴史とは、その大部分が人類に施された偶然かつ意図的な実験の記録なのか。もしそうならば、自然の本質を理解するための科学実験と同様、人間の本質を理解するためのものであろう。そのような歴史なら、われわれ自身の理解の助けとなるに違いない。
『魂の錬金術』 エリック・ホッファー
朝、店についてバイト先の主任に会ったときに「今日は目がバキバキだね。なにかやったの?」と聞かれた。「瞑想、キメてきたっす!」と答えた。”バキバキ”で始まった1日だった。
朝刊が終わって家に帰ってきたときもたぶんちょっとバキバキしてた。それでも体は疲れているようで、MacBookの液晶を眺めていると目がしばしばしてきた。”バキバキ”で”しばしば”。
90分ぐらい布団の中で眠って、目を覚ましたのは8時32分だった。起き抜けに映像をつけようと思って枕元に置いていたMacBookで『ゴールデンカムイ』を流した。眠気覚ましのアニメ鑑賞。
エピソード1と2を観たときは「けっこうおもしれーなぁ」ぐらいの感覚だった。だけど、しばらく時間を空けてエピソード3からまた見始めると、頭がギンギンに冴えるぐらい面白かった。”バキバキ”で”しばしば”で”ギンギン”だ。
これまで「歴史」というものにあまり興味がなかった。「そんなん知ってどうなるん」みたいな感覚がずっとあって、自分の価値観のなかでは歴史は不毛なものだった。
だけどここ最近「歴史の価値」というものに気づきはじめたらしい。それはたぶん「自分自身の理解」の手助けとして「物語」が有用だと気づき、そこから派生して「物語としての歴史」も有用だと気づいたからだと思う。
歴史なんかただの物語じゃないか。現実とは関係ないじゃないか。みたいな感覚を持っていたけれど、むしろ「現実」と「物語」が交差したところを探求することに価値がある。そう思い始めた。
そもそもなにが「現実」でなにが「物語」なのか。「現実」と「物語」を厳格に区別するのは難しい。そういう当たり前のことを、ちゃんと受け入れ始めたのだろうと思う。
だから、「現実」と「物語」が編み込まれたゴールデンカムイのような作品を楽しめるようになったのだろうと思う。
自分の感覚が「バキバキ」になったり「しばしば」になったり「ギンギン」になったり。それらが並存したり。そういうチグハグな状態が、自分にはある。
そしてそういう「チグハグな状態」は、世界にも同じようにあるんだと思う。また、そういう「チグハグな状態」が、歴史として記録されていることもあるのだと思った。そう思ったら、そこから何か「引き出せるもの」があるだろうと思った。
歴史を学ぶことは、「目を覚ます」ためにも、役立つかもしれない。