2022.12.21
「答えの出ない問い」を見つけると、なんで突っつきたくなるんだろう。
午前中に健康診断に行った。
健康診断にいって把握できる健康の範囲って、そうとう限られていると思っていた。
そもそも「健康の範囲」ってなんだろうと考えた。
考えたけれど、これは「答えの出ない問い」だ。
答えは出ないけれど、これからもずっと考えてしまうんだろうなぁと思った。
検査で特に目立った変化はないだろうなぁと思っていたけれど、視力が変化していた。
「右1.2左0.7」から「右2.0左1.2」に変動していた。
自分の眼がおかしいのか、視力検査自体がおかしいのか。
別におかしくないのか。
そもそも「検査」ってそういうものなんだろうか‥‥‥
夜、配達が終わって家に帰ったあと、ユングの『ヨブへの答え』を読んだ。
そのあと、風呂に入った。
湯船に浸かりながら『ヨブへの答え』の読後感を引きずっていた。
お湯がちょっと熱く感じた。
「暑いなぁ」と思いながら、東京事変の『原罪と福音』を流した。
ラストに向かう「昨日の傷も恥も詳しく見たい」のところで、グーっと「何か」が込み上げてきた。
曲を聴き終わったあと、音を消して歌詞を眺めていた。
どうしていつも無謀なことばかり考えてしまうんだろう。
いつもいつも同じことばかり考えていて、それが無謀なことだとは頭ではわかるのに、自分の中の「何か」はそれを全く諦めようとしない。
ずっと「それ」をみつめている。
限りないものを前にすると、人は盲目だ。
でも、それでも「視力検査」はしたくなるし、それでいいと思った。
みつめていたいのなら、ずっとみつめていればいいのだ。
信じたいのなら、ずっと信じていればいいのだ。
それが叶うかどうかはわからないけど、見つめることと信じることは、すでに許されている。