2022.9.8
部屋で寝っ転がっていた。
フローリングに接している背中がひんやりするのを朧げに感じながら、目を覚ました。
夏はノースリーブのシャツを着て横になることが多い。
冷感機能を謳った掛け布団を買ったのはたしか3年前の夏だった。
「ひんやり気持ちいい」という文字列が、近所のデパートの4階のエスカレーターを上がってすぐの所に掲げられていた。
セールスコピーだった。
最初はその謳い文句に釣られまいと意を固くしていた。
けれども、デパートに通って何度もそのエスカレーターを昇ったり降りたりしているうちに、その言葉が意識に馴染んできた。
記憶の後ろの方にその意識の馴染みぐあいが微かに残っている。
言葉は瞬間的に人を動かすものではないけれど、積み重ねや連続的な作用によって人に働きかける。
ひとつひとつは小さくて軽くて弱々しいものだけれど、それは時空を越えて群れをつくり、運動する結晶となって強さに変身する。
言葉は宙を羽ばたく鳥だ。
布団を畳んでバックにPCやらヘッドホンやらを詰め込んで、一応天気予報を確認してから外に出た。
通り道には、仕事帰りの人たちが向こう側からこっち側にたくさん歩いていた。
こっち側から向こう側に歩く人よりも断然多かった。
今日は月が半分欠けていた。
人混みから逃げるように駅前の本屋に入った。
文芸書コーナーで石沢麻依さんの『月の三相』を見つけて買った。
前作の『貝に続く場所にて』はオーディオブックで聴いた。
最近、もう一度聴き直している。サクサク簡単に読める(聴ける)ものじゃないけれど、だからこそ面白いと思える本だ。
本屋から30メートルも離れていないところにある「いきなりステーキ」に入った。
肉を頬張りながら『貝に続く場所にて』を聴こうとしたけれど、油っこい肉を食べることで注意力が散漫になったのか、うまく言葉からイメージを膨らますことができなった。
途中でオーディオブックを聴くのをやめた。
本を読む(聴く)とき、コンディションを整えること疎かにすると読書の質が落ちる。
肉をきれいに平らげた後の冷めた鉄板を眺めながら、その本に見合った熱で読むことができるように、読書のための温度感を整えられるように工夫したいなぁと思った。