走馬燈のBGM

 

 

 

こんばんは。

 

きょう、ご飯を食べながら『Luv (sic)』を和訳した動画を観ていました。

「ひねくれ」のカケラもない歌詞を読みながら、納豆ごはんとみそ汁を口のなかに掻き込んで、Nujabesの軽快なビートとShing02の歌声に身を委ねました。

 

「和食」に全然合わなそうだけど合わせようと思えば合うようなビートと歌詞で、この曲を聴きながらみそ汁の「対流」がぐるぐる回っているのを眺めたりしていると、変に陽気な気分になってきました。

「変に陽気」というか、「変だけど陽気」というか、「純粋な陽気とはちょっとズレている陽気」で、「今日はこんな感じでいっか」みたいに思いました。

 

聴いている音楽と食べているご飯で自分の「気分」を図ってみた、という話をしようと思ったのですが、よくわからない話になっちゃいました。

(ムダ話、失礼しました!)

 

 

 

 

 

 

 

単調なリズムの反復が心地いいのはなんでだろう、と考えていた。

 

 

haruka nakamuraの『Reflection Eternal』を最低でも毎日5回以上は聴いてしまう。

これはもはや「習慣」という言葉に収めきれない。

複雑なビートや複雑な歌詞の曲も好きだけど、もし人生の最後に聴く曲を選べるなら、きっとこの曲を走馬燈のBGMにする。

 

「お前は今回の人生で何がしたいのか」

と、問われたことがある。

とても大きな問いだから、その問いに答えようとしたとき記憶が意識の中でかなり長いこと漂流している。

 

「人生」について考えたり、「世界」について考えたり、そういう”人間くさい”ことを考えることがとても好きだ。

なぜ自分がそういうことを考えたり想ったりするのが好きなのかと考てみたけど、それは結局は「人間」について探究することがいちばん面白いと思っているからだろう。

それは結局、「人間」について探究することで「自分」のことを知ろうとしているのだ。

きっと「自分のことを知りたい」という”根源的な欲求”に忠実に生きているだけなのだ。

とても単純な動機。

 

 

「今回の人生で何をしたいのか」

という問いに答えようとすると、「もうちょっと待ってください」と言いたくなると同時に、「とりあえずReflection Eternal聴きません?」とも言いたくなる。

 

「自分」について考えながら、”走馬燈用のBGM”を流し、「今回の人生でやりたいこと」についての考えを熟成させる。

この時間そのものが愉しい。

こんな気分に浸れるなら、「こういうの、永遠に繰り返してもいいかな」とも思う。

 

 

 

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