2023.6.26
iPhoneのメモを振り返りながらこの文章を書いている。
最近、日記を書くことが少なくなった。いや、日記を書くことが少なくなったというより、日記の書き方が変わった。
その日にあった出来事を振り返りながら日記を書くのではなく、すこし前の記憶を辿りながら書くことが多い。1週間前から1ヶ月前の記憶を辿ったりしている。出来事が起きてから、その出来事を振り返るまでの”あいだ”の時間。その時間がすこし長くなっている。
この”出来事が起きてから振り返るまでのあいだの時間”の長さ。この”あいだの時間”の長さによって何かが変わるのだろうか。
きっと変わるだろうと思う。昨日の出来事を今日思い出すのと、昨日の出来事を1年後に思い出すのとでは、きっと印象が大きく違う。
でも、何がどう違うのかは、よくわからない。
よくわからないから、自分で「時間の長さ」を変えたりしている。「あいだの時間」を、伸ばしたり縮めたりする。そうすることで、何かを感じようとしている。
おそらく、「感覚の変化」を感じようとしているのだと思う。
「あのときのあれはなんだったんだろう?」とイメージを膨らますのが面白い。そのイメージは、そのときに振り返っている「自分の状態」によって変わったりする。自分の状態が悪ければイメージが悪い方に傾くし、自分の状態が良ければイメージが良い方に傾く。そういうふうに、イメージ(記憶)が、自分のコンディションによって左右される。自分次第で記憶が変化する。それがなんとなく面白い。
約1週間前の朝の9時ごろ、実家から北九州空港へ妹の車で向かっていた。深緑の小洒落た軽自動車の後部座席には、このまえ3ヶ月になったばかりの甥っ子も乗っていた。
北九州空港へ向かう途中に「橋」がある。たぶん1㎞か2㎞ぐらいはあったと思う。とにかくフツーの橋よりは長い。「海の上」を渡れるように建てられている。
橋を渡っているとき、妹のiPhoneにBluetoothで繋いでいたスピーカーから、清水翔太の『桜』が流れていた。
その日の天気は曇りで、空が白かった。”濁った海”がどことなく綺麗だった。なんだか”天国に近いところ”に送り出してもらっているような感じがした。
飛行機に乗った。スターフライヤーだった。羽田まで約2時間だった(いや、正直に言うと正確な時間は覚えていない。時間をあけて出来事を振り返ると、時間や距離の感覚があやふやになる)。
スターフライヤーの非常口近くの座席に座って、スーザン・ソンタグの『反解釈』を読んだ。ソンタグの批評集だ。「カミュの『ノートブック』」の批評をゆっくり読んだ。
5、6年前にカミュの『異邦人』を友達に勧められて読んだ。異邦人以外にカミュの本は読んでいない。だけど、何か”共鳴”するものがあった。
「あの”共鳴”はなんだったんだろう?」と思いを巡らせながら(イメージを膨らませながら)ソンタグの批評を読んでいると、カミュについて語るソンタグの言葉が、自分に対して語られているように思えた。
カミュは「行動者」としてより、「感受者」としての役割を果たしていたとソンタグが言っていて(かなりの意訳。誤訳かも。)、そこに何かを感じた。
日頃の生活で「何か」を感じたとき、その「何か」を「別の何か」に”しなきゃいけない”ように思ったりする。例えば、感動する出来事に出会したら、それを他の人にも伝えなきゃいけないような気がしてくる。「恩返し」の感覚に近いかもしれない。
ただ、普通に使われる「恩返し」という言葉が意味することとは違って、なにか”切羽詰まった”ような感覚もある。不安というか、焦りというか、そういうネガティヴな感覚。
そういう”強迫的なところ”が自分の中にある。それと同時に、「”しなきゃいけない”わけでは全然ないよな」とも思う。そう思えるときは、清々しい感覚がある。自分自身から距離が取れているからだろうと思う。
そういう対立した感覚がある。強迫的な部分と清々しい部分。その対立した感覚が併存しているように思う。
それがマイナスに傾けば強迫的になるし、プラスに傾けば飄々としていられる。
感じることそれ自体の価値。感じることには、それ自体に価値があると思う。ソンタグは、カミュの批評を通じて、その価値を肯定していた。
自分もその価値がわかるような気がしたし、そして自分の中にもある、「感じることそれ自体の価値」を知っている「感受者としての部分」を、ソンタグに肯定されているような気がした。それがうれしかった。うれしかったというより、なんだか安心した。
感じることを「何か」に”したい”という思いがある。”しなきゃいけない”ではなく、”したい”という思い。
でも、「何か」に”したい”という思いが叶わなくても、「感じることそれ自体の価値」をわかっていれば、安心して「どこか」へ”飛び立てる”ような気がする。いざとなったら、自分の感受性を信じて「非常口」から脱出すればいいのだ。
そんなことを考えていると、羽田空港に無事辿りついた。「非常口」を使うこともなかったし、太陽も眩しくなかった。
充実したフライトだった。