2023.03.31
朝まで「光回線」の解約予定日が今日だったことを忘れてました。
さっき、モデムを回収するために業者の人が家にきました。
いまは、iPhoneの「インターネット共有」で4G回線をMacBookにつないで、キーボードをカタカタやってます。
Wi-Fiがないのは心細いけれど、「つながる分にはつながってる」ので、なんとかやっていけそうです!
では、今日も「前のブログ」の続きを書いていきます。
はじまりはじまり〜
窓の外では 暑い寒いも雨風もやってきては去ってくけど
気づかず 今日が昨日と同じだっていうんだ
すべてが風景 目の前を行く
今なら 君なら なんて言うだろう
『風に立つ』 TOMOO
高田馬場駅で電車から降りた。
あたりは賑やかだった。
雑多な感じがする。
雑多だけど、新鮮。
まえにも高田馬場に来たことがあって、そのときは大学の先輩の仕事に付き合った。
「撮影のモデル」になってくれと頼まれて、面白そうだから喜んで引き受けた。
お返しに「焼き鳥」を奢ってもらった。
たぶんもう5年くらい前。
そのときも「この街は雑多な感じだなぁ」と思ったような気がする。
今日はその時とはまた「別の新鮮さ」があった。
雨もあがって、天気が良かったからかも。
さっきまで電車の中で吉本隆明さんの『最後の親鸞』を読んでいた。
その続きが読みたくて、「カフェに行こうかなぁ」と思ったけれど、もっと歩きたい気分だった。
歩きながら座って本が読める場所を探そうと思って、とりあえずGoogleマップを開いた。
近くに「穴八幡宮」という神社があるらしい。
とりあえずそこに向かって歩くことにした。
道路沿いをずっと歩きながら、道ゆく人の表情や歩き様をみたり、店の看板を眺めたりしていた。
音楽を聴きながら。
re:plusとOsamu Fukuzawaの『Afterimage』。
面影。
面影って、なんでこんなにトキメクんだろう?
「ひとつの目的地」から「別の目的地」に向かう。
その「あいだの道」を歩く。
「あいだの道」を歩きながら、音楽を聴く。
「これこそ”ライブ”やろ」と、心の中で呟いた。
気分は上々。
神社についた。
とりあえず参拝した。
「龍の蛇口」が印象的で、ちょっと時間をかけてみつめていた。
他に惹かれるものはなかったから、長居せずに「次」に向かうことした。
早稲田大学の隣の道を歩いた。
「自分が惹かれる人に早稲田出身の人が多いのはなんでやろ?」と考えながら歩いた。
「早く稲を”田んぼ”に植えてくれ!」と「誰か」に言われているのかなぁと思った。
字面から空想を膨らませる癖は当面治りそうにない。
治す気もない。
楽しいから。
しばらく歩いていると、「甘泉園公園」という庭園みたいなところがあった。
座れるところもありそうだったので、そこで本を読むことにした。
いい感じの東屋があった。
けれど、「先客」がいた。
東屋は断念。
”別の”ベンチを探した。
ベンチに座って『最後の親鸞』を読んでいると、バイオリンの音が聴こえてきた。
さっきの先客は、バイオリニストだった。
「なんだか大きな荷物を持ってるな。観光客かな?」とさっきは思った。
だけど、ちがった。
あの「大きな荷物」の正体はバイオリンだったのだ。
バイオリンの優雅な音。
弦が軋む音。
近所の工事現場の音。
ボルトが電動器具でギューンと閉められたり、材木がバコバコ叩かれる音。
鳥の鳴き声。
風にゆられる木々のザワザワ。
いろんな音が混ざった場所。
ヘッドホンをつけて音楽を聴きたい気もしたけれど、しばらく雑多な音を浴びながら『最後の親鸞』を読むことにした。
30分ぐらいして、読書を中断した。
風が気持ちいい。
ふいに、「風をとりたい!」と思い立った。
思い立って、バッグからカメラをとりだした。
庭園をぐるっとまわりながら、「50㎜」の単焦点レンズで風と向き合う。
バイオリンの音が「風をとる」という無謀な試みを鼓舞してくれてるみたいだ。
池の「鯉」が口をぱくぱく開けていて、それがなんだか愛おしかった。
撮影が終わって、神田川の方に向かった。
高田馬場で電車を降りたのは、神田川に行くためだった。
いろんなところを歩くのが楽しくて、神田川を目指していたことを忘れていた。
川沿いの「桜」と「橋」を撮るためにここまできたのだった。
仲之橋から三島橋まで歩き、そこから面影橋を通って曙橋まで歩いた。
カメラを片手に歩いた。
碧い橋と桜のリミックス。
ぼくの他にも、色んな人が碧い橋の上から桜を眺めている。
みんなは桜に「自分」を重ねたりしてるんだろうか。
そんな感じには見えなかったけれど、みんなそれぞれ楽しそうだった。
今日撮った写真は、このあいだ”ぼくたちのところ”にやってきてくれたばかりの「新しい命」に捧げたい。
ついにぼくにも「甥っ子」ができたのだ。
名前は碧桜(あお)。
いい名前だ。