黄色い夢

 

明日を描こうともがきながら

今夢の中へ

形ないものの輝きを

そっとそっと抱きしめて

進むの

明日への手紙(ドラマバージョン)』 手嶌葵

 

大手町から神田にむかって歩いていた。雨がふっていた。折りたたみ傘からはみ出したカラダに、雨があたっていた。

うすぐらい朝の都会の街をあるいていたけど、気分はわりと晴れやかだった。さっき飲んだコーヒーのせいかもしれない。カフェインを入れて興奮し、一時的に気分を晴らしていると、なんだかズルをしている気がしてくる。

でも、「いまはズルをしたっていいや」とおもった。なにせここは東京なのだ。東京にはズルが似合う。

ズルい人たちが集まった、ズルい街。そういう東京が嫌いじゃない。あまりにズルすぎるときっと嫌いになるけど、ぼくが東京で出会った人たちのズルは、可愛らしいものばかりだった。

可愛らしいズルは、そのひとの「恥ずかしい部分」を守るためにそのひとがつくったもので、その「恥ずかしい部分」には、たぶん、その人の「ほんとうの自分らしさ」が隠れてる。

「ほんとうの自分らしさ」を守るためにズルしてつくられた「嘘」は、外から眺めていると、なんだか愛おしい。

 

小川町について「まねきねこ」に入った。たまに行くカラオケ屋だ。眠くて横になりたいとき、仮眠をとる場所としてカラオケをよく使う。

平日の昼間のカラオケ屋には、ほとんど客が入ってなかった。10人は余裕で入れそうな部屋に案内された。だだっ広い空間を持て余しながら、テーブルの上に置いてあったリモコンに手を伸ばした。

歌うつもりはなかったけど、目の前にリモコンがあって、ついつい手を出してしまった。

この部屋のカラオケの機械には、映像が流せる機能がついていた。ミュージックビデオが再生できるらしかった。手嶌葵の「明日への手紙」のミュージックビデオを再生することにした。

だだっ広い部屋の壁際にある大きな液晶に、「明日への手紙」を主題歌にした「いつかこの恋を思い出してきっと泣いてしまう」というドラマの映像が映りはじめた。

主人公の「音(おと)」を演じる有村架純が「黄色いコート」を着ていた。ずいぶん昔にこのドラマを観たとき、北海道の田舎から東京に出てくる「音」が着ていたこの「黄色いコート」が印象に残った。

なんとなく印象に残っているものが、時間が経って、ある日突然「大きな意味」を運んでくるようなことがある。そのときはほとんど何とも思ってなかったのに、「なんとなく引っかかるなぁ」と思っていたことが、後々「そういうことか!」と思えるようなものに変化することがある。

きっと、この「黄色いコート」も後々、「そういうことか!」を運んでくる。

この「黄色いコート」を昔見たときには、ほとんどなんとも思わなかった。ほとんどなんとも思わなかったけれど、印象には残っていた。いま見たときは、その「印象の濃度」のようなものが強くなった。他の「黄色いもの」の印象が、この「黄色いコート」の印象と絡み合っている。色んな印象が絡み合って、印象が「束」になっているみたいだ。「黄色のコート」の印象を中心にして、印象が束ねられている。印象が束になって、「黄色の印象」の”濃度”が高まり、「色濃い世界」が僕の目に映るようになった。

 

話がややこしくなってしまった。

こんなことをごちゃごちゃ考えていると、アタマが疲れて眠くなってくる。

ともかく、「黄色い印象」を集めていた。そして、眠くなってカラオケで寝たのだった。

このときにみた「夢」が”黄色かった”のかどうかは覚えていない。けれど、無事に蘇って(黄泉帰って)、目が覚めた。 

 

いい歌を聴きながら眠る時間は、とても気持ちよかった。

 

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