おはようございます。
いま、旧軽井沢のカフェでアイスコーヒーを飲んでいます。
日陰のテラス席に座っているのですが、秋風がうでに当たって肌寒いです。
通りを歩く人たちは、長袖と半袖が半分ずつといったところです。
まだ、夏の余韻をかんじます。
貴方もお気づきかもしれませんが、僕は季節感がすこしズレています。
ズレているというか、すこし狂っているとおもいます。
いまも、「夏の余韻をかんじます」なんて言いながら、もう春のことを考えて「卒業ソング」や「桜ソング」にどっぷり浸かっていました(冬はどこにいった…)。
これはまだ可愛いものだとおもうのですが、他にもたくさん「季節外れ」をやらかしてしまいます。
その時々の季節の風景をたのしみ、季節にあった心持ちで生きていたいとは思うのですが、いかんせんこれまでの「雑な生活」のわるい癖が抜けなくて、あいかわらず季節感が「ごちゃ混ぜ」のままです。
僕にかぎらず、大半の現代人はこういう「ごちゃ混ぜ」を抱えて生きているとおもうのですが、やっぱり不自然なところも多いと思うので、「なんとかなんないかな」と考えることが多いです。
自然に楽しく生活できる術をみつけたいものです。
いまは「ごちゃ混ぜ」でも、とにかく「季節を愛でる気持ち」だけは保って、いずれは”自然”な生活を深く愉しめるようにしたいです。
貴方とも、色んな季節を楽しめたらいいなぁとおもっています。
あぁ、今日は「風景」の話をしようと思っていたのに、話がズレました。
「風景の話」は、次回に持ち越します。
しょうがないので(なにが?)、今日は「春の感覚」で書いていこうと思います(結局ズレた!)。
それでは、今日もトンチンカンなままですが、ぜひご自由にお楽しみくださいませ。
夏の余韻の残る軽井沢から、貴方の秋が良き日々になることを祈っています。
ひとりではないと思える場所を 見つけたときに
忘れていた時間を人は 生きていけるものだから
夢とひとつになったとき 叶えられるものが
どんな壁も突き抜けていく 自分というボールに代わる
『春の風』 熊木杏里
幼稚園のころ先生に「将来の夢は?」ときかれて、「ボールになりたい」と答えた。
先生が吹き出すように笑っていた。
先生のたのしそうな笑顔を思い出しながらその夢について考えていたのだが、この夢には大切な「何か」がつまっていると思った。
京急本線で横須賀美術館に向かいながらヴァレリー・ラルボーの「幼なごころ」を読んでいた。
春の陽射しがさしこむ電車の座席に座りながら、「あぁ、この感じ」とつぶやいていた。
「自分だけがこの人の”特別さ”に気づいている」という感覚。
ある種のごうまんさとセンスが混ざったもの。
どういうわけか、そういう感覚を捨てきれずに生きている人がいる。
それを「勘違い」という言葉に包んでしまうのが勿体無くて、自分がバカな妄想を抱いているなぁとは薄々気づいていても、それでもやっぱり大事に持っていたい気持ち。
そういう気持ちを自分の内側で育むように生きることのたのしさ。
そういう楽しさを思い出していた。
電車がトンネルのなかに入って暗くなった。
その暗さのなかで丁寧にページを繰りながら、次の景色を待つ時間。
そういう時間が愛おしい。
谷内六郎さんの絵がみたくて横須賀美術館を訪れるのは今年の春だけでも3回目で、谷内さんの絵を見ることよりも、谷内さんの絵を見に行くための時間のすべてに味をしめてしまった。
「大事なのは、何を表現するかより、どういう人間であるかですよ」と谷内さんが言っていた。
谷内さんは何を思ってそう言ったのだろう。
それが知りたくて、ジーッと絵をみてみたり、ジーッと考えてみたりした。
途中で「かくれんぼ」という木版画に何かをかんじて、ジーッとみつめてみた。
絵をみたり考えてみたりを繰り返してみたけれど、案の定よくわからなかった。
「よくわからなかった」というより、その言葉のなかにある「何か」は感じられたけど、それを「わかった」と言ってしまうと、その「何か」が消えていくような気がしてそれがイヤだったから、「よくわからなかった」と言っていたかった。
よくわからなかったけど、「それを知りたい」という思いはどんどん膨らんでいく。
谷内六郎の描く”紙風船”に感じた何か。
「遠い記憶」が浮かんできては遠ざかっていくような、そんな感覚。
ふわふわと浮かぶ何かの影に、チラチラと垣間見える何か。
宙にうかぶ紙風船が、記憶のなかで埋もれている「何か」に呼びかけてくる。
その呼びかけにこたえようとして、その何かを探す。
なんだか、記憶をつうじて「かくれんぼ」をしているみたいだ。
「もういいかーい?」ときかれても、「まあだだよ」といっていたい。
みつかりたくないけど、みつかりたい。
そんな気持ちになった。
横須賀の海岸沿いを歩いていると、3歳ぐらいの男の子とお母さんが歩いていた。
男の子がボールをお母さんに渡しながら「はいどうぞ」と言っていた。
お母さんが「ありがとう」とゆっくり言った。
たのしそうな声だった。
紙風船みたいなシワシワな顔がふたつ。
二人はもういちど手を繋いで歩きはじめた。
お母さんの左手と男の子の右手。
ふたつの体温がバランスをとろうとする。
ふたりのまわりで春の海風が吹いている。
海風のざらざらした感触。
ざらざらだけど、しっとりした感触。
凪いだ手のひら。
ふたりの向こう側にみえる空を見上げた。
スズメの親子が、気持ちよさそうに飛んでいた。
「もういいよー」と、言いたくなった。
シワシワな雲が、わらった気がした。