おはようございます。
いま、川崎の”有馬”という町にある『神乃珈琲』でカフェインレスのアイスコーヒーをのんでいます。
僕がいる席の左側の壁一面に本棚があるのですが、その本棚を眺めながら「いい店だな」と思いました。
なんだか、温かい感じの本や温かい感じの画集が多いです。
井上ひさしさんの『吉里吉里人』というとても分厚い小説を手元において眺めています。
すこし黄ばんだ装丁をながめながら、「どんな人がどんな気持ちでどれぐらい時間をかけてこの本を読んだのだろう?」と想像してみました。
そういうことを想像していると、なんだか”うれしい気持ち”になってきました。
自分が読んでいない本でも、そういう気持ちになれるって、なんだかすごいです。
まぁ、けっきょく読む気はないんですけど(!)。
ところで、僕は「本棚」でその人(や店)の”センス”を見ようとする癖があるのですが(この癖を持っている人、けっこういます)、ここはセンスのいいお店である可能性が高いと思いました。
「可能性が高い」なんて歯切れのわるい言葉を使いましたが、いくらいい本を読んだりいい絵をみたりしても、その人(や店)が本当に「センスがいい」と言えるかどうかは微妙なことも結構あり、ぼくは「その人が触れているもの」でその人のセンスを測ったりするのは”ナンセンスな部分”があると思っています。
ナンセンスな部分が含まれていると自覚したうえで、その人(や店)の「内面世界」を想像するのが楽しいです。
自分が勝手に想像したその人(や店)の内面世界は結局は「的外れ」なのですが、けれど的をかすめる「何か」もきっとあって、その「何か」を感じ取れたんじゃないかと思う瞬間が好きです。
さて、話を変えます。
これまで言っていなかったのですが、今回のブログでは「祭り」もテーマのひとつにしていました(貴方ならとうにお気づきかもしれませんね)。
最初からこのテーマを設定していたわけではなく、最初の記事を書いたときに無意識から勝手に「祭り」の感覚がでてきて、「おもしろいからこれでやってみるか」と思いました。
それで、「祭り」もテーマに組み込んでやってみようとおもったのですが、ちょっと行き詰まってます…
前回の記事でさっそくテーマから”逸脱”しました…
なんとなく「パピヨン」という言葉が気に入ってしまったこともあり、祭りや縁日に関係のあるモチーフをつかうという「裏ルール」(もう表に出したけど!)を破ってしまいました。
「自分との約束」というほどには明確にルール設定をしておらず、なんとなく「これでいくか」ぐらいに思っていたのですが、やっぱりちゃんと「ルール」や「約束事」を決めた方が充実しそうな気がしたので、いまここで貴方のまえで「約束」しようと思います。
今回からまた、「祭り」をモチーフにして書いていきます。
さあ、これでもう後に引けなくなりました(これが狙いです!)。
さてさて、一体どうなるなのでしょうか(ちょっと他人事!)。
すみません、今日も勝手にごちゃごちゃ言ってますね。
貴方に楽しんでいただけると思うと、ついついはしゃいでしまいます。
貴方のおかげで、安心して「落ち着きのない自分」でいられます。
貴方がいつも温かく見守ってくださるからです。
ありがたいことです。
改めて、感謝申し上げます。
いつもありがとう。
それでは、今日は川崎有馬のセンスのよさそうなカフェから、貴方の日々が温かさに包まれることを願っています。
温かい本とともに貴方の幸福を祈って。
いま何してるかな
君も見ているかな
オレンジ色に染まる空を
朝日に変わる夕陽を
『キズナ』 ORANGE RANGE
「自己責任」という言葉のむずかしさについて考えていた。
自己責任という言葉をむりやり他人に押しつけることは”想像力の貧困”でしかないけれど、責任を指摘しないのは、結局はその人を信じていないからだと思う。
米沢城についたのは午後3時すぎで、この日は土曜日だった。
城のまわりに、「博物館」があった。
博物館のまえには、手入れがとどいた緑の芝生があった。
背丈のみじかい緑の芝生がこきざみになびいていた。
夕暮れまえの生温かい風にふかれていた。
緑が、きれいに揺れていた。
小刻みになびく芝生のうえで、親子が”キャッチボール”をしていた。
坊主頭のわんぱくそうな小学2年生ぐらいの男の子。
赤ベースのチェックのシャツを着た細身のお父さん。
男の子は、はだしだった。
たのしそうな声で少年がはしゃいでいた。
のびのびとはしゃぐ坊主頭の少年とはちがって、お父さんはすこし「周りの目」を気にしていた。
「周りの目」を気にしつつも、少年につられるように笑っていた。
うれしそうに、わらっていた。
キャッチボールをする親子を横目に、僕はベンチにすわって”たこ焼き”を食べていた。
かつおぶしがたっぷりで、なんだかモサモサしていた。
ちょっと熱かった。
ちょっと熱くて口の中を”火傷”しそうだった。
でも、なぜかそれが嬉しかった。
となりのベンチにはカップルが座っていて、ふたりはソフトクリームを食べていた。
白いバニラソフトと、紫の巨峰?ソフト。
黒いTシャツにジーパンを履いた彼女がキャピキャピしながら何かを言っていた。
風に声がかき消されて何を言っているのかわからなかったけど、高い声で楽しそうに話していた。
空から飛行機の「ゴォー」という音が聴こえていた。
賑やかな午後だった。
休日だったからか、城のまわりには出店がならんでいた。
ふだん僕は小麦はひかえている。
だけど、縁日がたのしそうだったから「まあいいや」とおもって出店のまえで立ち止まった。
雰囲気につられて、ついつい”たこ焼き”を買ってしまったのだ。
たこ焼き屋のおっちゃんに500円玉をわたすと、おっちゃんが「ありがとー」といった。
顔にすこし煤(すす)がついていて、なんだか可愛かった。
たこ焼きをたべおわって、そのままベンチにすわって本を読んでいた。
ルドルフ・シュタイナーの『悪について』。
地球はそのうち一旦破局を迎える。
シュタイナーの本を読みながら、そういう「端的な事実」を受け入れるのに時間がかかったなぁとおもった。
時間はかかったけれど、それをじっくり受けれていく過程で、大切な「何か」の種をみつけることができた。
これからの歩みのなかで、その「種」を着実に育んでいこうと思った。
その「種」を育み、「希望」を示していこうと思った。
米沢にきたキッカケがひとつある。
高校生2年生の頃の春のことだ。
近所の消防署の方々が避難訓練の指導で高校にやってきて、そこで「三助の思想」について話してくれた。
「三助の思想」は、災害対応の心構えとして説明されることがある。
自分で自分を助ける「自助」。
周りのひと同士で助け合う「共助」。
公的機関が介入する「公助」。
「助け合い」を3つのカテゴリーに分ける、というもの。
この「三助の思想」を言い始めたのは、”代表的日本人”として紹介されることもある上杉鷹山とも言われていて、僕は上杉鷹山という人や、彼の行ったことが気になっていた。
そんなこんなで、はるばる山形までやってきたのだ。
”おおきな震災”が起きたとき、この「三助の思想」は批判された。
未曾有の災害をまえにして、モタモタしていた”公的機関”。
まともな策をうてず、ゴニョゴニョ言っているだけだった”公的機関”。
そんな「公」のひとたちが、「三助の思想」を盾にして、「自分のことは自分で助けろ」と言っていた。
笑えた。
あれから時がたった。
また、高校2年生の頃の「あの春」のことをぼんやり思い出していた。
”オレンジの服を着た隊長”の言葉を思い出していた。
「僕ひとりで、1000人も救えるわけがありません」
市民100万人に対し、消防職員が1000人。
僕の生まれ育った「街」は、消防士1人に対し、市民の数が1000人のわりあいだった。
オレンジのあの人は、最初から「何か」を諦めていた。
最初から「何か」を諦めていたけど、最初から別の「何か」は諦めていなかった。
彼は、「何か」を伝えようとしていた。
「みなさん、自分で自分のことを守れるようになってください」
「公」に属するひとが、「自己責任」を語っていた。
彼は、信じていた。
「そして、まわりの人と助け合ってください」
「公」に属するひとが、「共助」を語っていた。
彼は、やっぱり信じていた。
15時36分。
緑の芝生のうえに、すこしずつ太陽が降りていきている。
日没には、まだまだ時間があった。
みんなまだ、あまり太陽のことを気にしていないみたいだ。
陽のひかりを浴びる背の低い緑は、太陽のことを気にしていた。
もうすでに、うれしそうに太陽が近づくのを待っていた。
うれしそうに風に揺られる緑のうえで、親子がキャッチボールをつづけていた。
「お父さん座ってー!」
はだしの男の子が、大きな声でいった。
「オッケー!」
お父さんは、すこし低い声でいった。
すこし低くて、やさしい声だった。
夕暮れのまえの風が、ふたりのあいだに吹き抜けた。
風が、乾いた音を鳴らした。
ふたりのあいだに、直線の軌道。
白球が、緑の上の、眼の高さの宙を渡った。
「パーン!」
グローブにボールがおさまった。
乾いた音が響いた。
ふたりのあいだに、軌跡が残った。
ひとつの線。
ひとつの線の残像が、眼の高さの宙に残った。
「いいじゃん!」
お父さんは、うれしそうに笑った。
空を見上げると、白い線がみえた。
ひこうき雲だ。
飛行機が、青い空に白線をのこしていた。
青い空のうえに、ゆっくりと白線を引いていた。
じわじわと、雲を描いていた。
少年はまた、お父さんのグローブをみつめていた。
まっすぐな瞳で、眼の高さの宙をみつめていた。
太陽はまだ、青い空に残っていた。
白い雲と、一緒だった。
「ストラーイク!」
少年の楽しそうな声が、宙に響いた。