こんばんは。
きのうは久しぶりに電車に乗りました。
二駅の移動なので乗車時間はわずか7分程度なのですが、いちにちの終わりにその時間をふりかえったとき、その7分がつよく印象に残っていました。
「たったの7分だから大事にしよう」と思って、意識的に過ごしたからだと思います。
車掌席のうしろにたって、相棒のカメラを構えて、雪の泥がこべりついた窓をとおして、外の景色をずっと眺めていました。
「何か」を感じとった次の瞬間には、視界からその「何か」をもたらした風景が去っていく。
去っていく風景を思い出そうとすると、別の風景がまたやっていくる。
ひとつの瞬間を掴もうとすると、他の瞬間を諦めなくちゃいけない。
次から次へと展開する景色。
そしてそれを「惜しい」と感じさせる余地すら与えてくれない。
十分に気持ちを消化しきれないまま、いつの間にか駅に着いた。
7分の時が満ちた。
きっと人生もこんな感じなんだろうな、と思った。
「完全燃焼」で終わる人生なんて実際には存在しなくて、人はいつもどこかに「煮えきれなさ」を抱えながら生きていくしかない。
「煮えきれなさ」はきっと死ぬまでなくならないけれど、それでも生きていくしかない。
心の底に積もっていく感情の塵。
腐葉土のように沈澱している何か。
行き場を失って、動かなくなってしまっている何か。
煮えきれない。
でも、それでも「次」に想いを馳せる。
「次」で待っている”誰か”や”何か”のために。