(9) 救助

 

 

 

いま、軽井沢にいます。

これからしばらく軽井沢で生活することになりました。

4月に日本のあちこちを3週間ぐらい旅していたのですが、そのときに初めて軽井沢を訪れました。

石の教会」という内村鑑三にちなんだ場所を目当てに訪れたのですが、なんとなく街の雰囲気が好きだったり、いろんなご縁もあったりして、今年の夏は軽井沢で過ごしたいと思うようになりました。

 

家から最寄りの駅に図書館があるのですが、ここがともかく素晴らしい。

図書館に入った瞬間、「あっ、ここで新しい日々が始まる」と思いました。

 

落ち着いた町の人たち、安らぎを与えてくれる自然、心の渇きを満たしてくれる図書館。

穏やかで、優しくて、静かに燃えるような気持ちになっています。

今年の夏は、軽井沢で「よりよい明日」を目指して、充実した日々を過ごせるように精進したいです。

あなたの夏も、実り多き日々になることを軽井沢から祈っています。

共に、豊かな時間を過ごしたいですね。 

 

 

 

Let me heal your pain

What can I do for you 君のために

昨日より少しだけ優しく

君が君を愛せますように

 

Your last』 Maliya

 

 

 

消防で働いていたとき、”救い”は「本」の中にあると思っていた。

 

朝の9時から翌朝の9時までの24時間勤務が終わったあと、いつも帰りに本屋に寄っていた。

肉体的にも疲れていたのだが、何方かと言えば心理的に疲れていることが多く、いつも心がカラッカラに渇いていた。

心が渇いているときに本を読むと深いところに沁みてくるもので、言葉が内側の深いところに届く「あの感じ」を知ってしまってからというもの、仕事でつらいことがあってもどこかそれを悦んでいるようなところがあった。

 

消防の仕事をして、現場に出たり職場の人の話を聴いたりしていると、世の中というものが「悲惨」というか「いい加減」な場所だと感じるようになっていた。

そう感じるようになっていたというより、「やっぱりそうなのか」と、なんとなく気づいていたことを確認させられるような日々だった。

いま思えば「大袈裟に悩み過ぎたなぁ」と思うこともたくさんあるのだが、ともかく「苦悩」の多い日々だった。

 

「苦悩」は多かったけれど、「苦労」はさほどしてなくて(むしろ周りの人に苦労をかけてしまった)、悩みながらも、自分の力を信じて不貞腐れずに生きていた。

「世の中って結構めちゃくちゃなんだな」と思いつつ、不貞腐れずに生きることができていたのは間違いなく本のおかげだった。

仕事で苦悩を抱え、その苦悩を燃料にして本を読むような日々で、どんなに辛いことがあっても「本さえあれば生きていける」と思っていた。

 

消防の仕事をしているとき、「”人を助ける”仕事だから立派な仕事だね」みたいなことを言ってくれる人がいて、そう言ってくれるのはありがたかったけれど、どう考えても消防の仕事よりも「本を書く」仕事の方が”人を助けている”と思っていた。

 

なぜかわからないけど、昔から”人の助け”になりたいという気持ちがずっとあって、そのために生きられたらどれだけ幸せなんだろうと思っていた。

よく「人は人を救うことはできない」というけれど、”人を救う”ことはできなくても、”人を助ける”ことはできるんじゃないかと思っていて、そこを諦めることができなかった。

 

何が「救い」で、何が「助け」なのか。

何をすれば「救い」や「助け」に近づくことができるのか。

消防で働いているときから、ずっとそれを考えている。

今でもずっとそれを考えている。

 

それを考えはじめた「原点」のようなものが仕事帰りに本屋に通っていた日々で、あの頃より思考や感性は研ぎ澄まされている自信はあるけれど、あの頃のような「熱」が持てているかどうかを考えるとちょっと自信がなくなる。

 

「ライバルは10代のころの自分」

 

と、「原点」の時代に出会った一人の作家が言っていた。

変な雑音に流されそうになるとき、この言葉を思い出す。

私も、あの頃の自分に負けたくないと思う。

 

 

 

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