Raining

2023.07.05

 

 

 

神社を出て、「隣の寺」に行くことにした。

寺の入り口に仏像が置いてあって、その近くに「大江院」と書かれた石版?があった。お寺の名前らしい。

看板?に書かれている文字をみると、曹洞宗のお寺らしいことがわかった。

「おぉ、道元…」と、意味もなく言葉を宙に投げた。

 

このお寺のことが何となく気になってきた。

iPhoneを取り出して、開いて放置していたGoogle Mapをもう一度開いた。

「地図を途中からもう一度開く」って、なんか面白いなぁと思った。輪廻転生の手続きの一つみたいだ。

愚かな凡夫らしく「手続き」をしながら、大江院の文字をタップすると、画面が切り替わった。

「他のユーザー」の口コミをみていた。ここはもともと真言宗だったらしい。

「おぉ、空海…」とは言わなかった。

今度は言葉を宙に投げはしなかった。きっと”1回目”で投げ飽きたのだろう。

投げ飽きてはいたけれど、空海さんも大好きなお坊さんで、禅と密教という組み合わせは最高に贅沢だと思った。それはもう”焼肉と寿司”だ。

「ぼくは禅と密教が好きだね。今を生きる感じがいい。」と言っていた師のことを思い出した。

「これも何かの縁だろう」と思いながら、縁起の網の目で踊るような気分になっていた。

あるいは焼肉のように網で焼かれているだけなのかもしれない。

「煩悩の炎」の火力は、計り知れない。

 

口コミをスクロールしていると、言葉を宙に投げるどころか、言葉と一緒に飛びたくなるような文字があった。

 

「マイヨールが修行した寺」

 

おぉ、Dive Healing…

いつも目にする、近所のダイビングショップの看板が脳裏に浮かんだ。

ぼくはこのとき、あのジャック・マイヨールが修行した寺に来ていたのだ。”イルカと共に海に還った”伝説のダイバー。

社会学者の宮台真司さんが語るマイヨールの話が好きで、東京で「修行」をしているときに、何度も何度もマイヨールの話について考えた。

マイヨールの話の主題はこうだ。

 

「この社会は生きるに値する場所なのか?」

 

“青臭く”て敬遠されるような問いだけど、大事な問いだ。

この問いを避けて通る奴とは、きっとホントの友だちにはなれない。

“青臭く”ない奴とは、きっとホントの友だちにはなれない。

 

後付けだけど、いま思えば、この瞬間にぼくはダイビングをすることに決めたのだった(このあとぼくは本当にダイビングをした。比喩じゃなくて、ライセンスを取って本当に「ダイバー」になった)。

 

「海」と本格的に向き合う時節が訪れていた。

 

寺の正面で合掌したあと、来た道をもどった。

坂道を下り終えたところある本屋に行った。

「岩上書店」という小さな本屋さん。

ステキなおばちゃんが営んでいる、ステキな町の本屋さんだ。

 

おばちゃんの少し高い声と常連客らしきおじちゃんの声が店内に響いていた。

女性のパーソナリティが仕切っているラジオもかかっていた。

「いい町だなぁ」と思った。

「今日は何か見つかりそうだなぁ」と思った。

「いい予感」を感じながら、本だらけの空間を歩いていると、流れていたラジオでパーソナリティの女の人がタイトルコールをした。

 

「それでは、Coccoの『Raining』です。どうぞ〜」

 

現代の巫女、Cocco。

格別のアーティスト。

Coccoを聴きながら何とか生き延びていた頃の記憶が蘇った。

記憶の底を漁り返していた。

Coccoを取り憑かれるように聴くようになったのも、宮台さんの影響だった。

このとき、ぼくはきっとCoccoと共時性の中に入っていた。

Coccoのわけのわからない時空の中で、目眩く展開に身を任せていた。

流れに身を任せるように、坂口恭平さんが帯を書いていたイヴ・ジネストの『ユマニチュードへの道』を買った。

そして家に帰った。

なぜこの本を手にとったのだろうか。

きっと宮台さんと坂口さんの対談のことを思い出していたのだ。

宮台さんは坂口さんと会って、「ほんとのアートをみた」とおっしゃっていた。

そのときことを思い出していた。

ぼくはこの日、「ほんとのアート」に近いもの体験した。そう思った。

けれど、「ほんとのアート」は、わけがわからなかった。

わけがわからなかったし、なんだか軽かった。

 

たぶん、これはまだ「ほんとのアートの”種”」なのだ。実っていない。

「実り」のためにはもっと「雨」で水分を蓄える必要もあるし、「晴れ」で養分を蓄える必要もある。

これからも、いろんな季節を乗り越える必要がある。

 

この日は、「とても晴れた日(Raining)」だった。

この日も、やっぱりどこかで「未来なんていらない(Raining)」と思っていたけれど、「帰り道のにおい(Raining)」は、やっぱり優しかった。

「優しいにおい」を嗅ぎながら、ぼくはきっと「未来」に向かって歩いていた。

「優しいにおい」に釣られながら、すこしずつ「未来」に向かって歩いて、コーポ一森に還った。

それは、とても晴れた日だった。

 

 

 

*追伸

このあとも「アートな体験」が山のようにありました。これからもInto the deep forestな日々が続きそうです。日記の形では納め切れそうにないので、「別の形」でまとめることにしました。乞うご期待。

 

 

 

*追伸の追伸

いつも読んでくれてありがとう。あなたに支えられています。

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