海の星

Few of the words we had in our room at the night
Therefore i said some unspoken words
And you answered it before that night
Someone like god break this door
Still we didn’t know
Its not never ending
And always remind us of anything
Fade away

 

forget me not』 別野加奈

 

過去を振り返って「後悔」するのはよくないと言われている。

たしかに、いつまでもクヨクヨするのはよくない。

けれど、「後悔は良くない」という言葉には引っ掛かりを感じている。

むしろ、いつまでも「後悔」しなきゃいけないというか、「悔悟」の気持ちを忘れちゃいけないことがあると思う。

”よりよく生きる”ためには、「すべてを忘れてしまっていい」わけではない。

 

きっと「人の道」を踏み外したときの後悔は忘れちゃいけない。

人は常に「人の道」から外れる危険と隣り合わせで生きている。常に「罪」を犯す危険を抱えている。

だから、その危険を認識できるように「危機感」を持って生きる必要がある。

「悔悟」はその「危機感」を思い出させる。「悔悟」は「人の道」を歩むための”命綱”のようなものだ。

 

「人の道」とは、しょーもない大人が偉そうに洗脳しようとしてきた「道徳」などとは次元が異なる。

それは「自分の道」であり「自分に定められた道」のようなものだ。

だから、その道は人それぞれ異なる。誰一人として同じ道はない。

 

「人の道」は川のようなものだ。

川には流れがある。

その流れに乗ればいい。

方向さえ間違わなければ、辿り着くべきところに辿り着く。

暗礁に乗り上げることもあれば、渦に飲まれることもある。

だが、道の流れはいつもそこにある。

 

川の水面は陽の光を反射している。昼に訪れる星座のように。

星座は暗闇を必要とする。闇があるから、星は輝く。

昼の星座。その暗闇は空にはない。

見上げれば、そこにあるのは青。

闇は、外にはない。

 

川の周りで樹々が風に揺られている。箒で宙を掃くように。

宙に浮いた塵を、彼は払う。

塵が青のなかに散っていく。

斑点の反転。

昼夜の逆転。

時空の逆光。

そこにもただ、星座があるのみ。

 

樹々のあいだで鳥が鳴いている。風に返事をするように。

鳥は風の声を待っていた。

声を聴き、彼は飛び立つ。

落下する夕方に向かって。

声を届けるために。

 

彼は夜になった。

黄昏に向けて飛び立ち、彼は夜になった。

そして、星になった。

そして、海になった。

 

川の周りでは、皆が祝福している。

声なき声。

それは祝福。

それを聴け。

それに乗れ。

それと踊れ。

 

流れに乗ること。

大事なのはそれだけだ。

 

 

罪と罰。

”彼”は人が無事に「道」を歩めるように「罰」を与える。

人がそれを忘れたとき、彼は優しく声をかける。

彼の優しい声は、地を裂く。

その声は、地響き。

 

地が響く。そして人は思い出す。

思い出し、空を見上げる。

空の青に、海の青に、彼を見る。

空の星に、海の星に、もう一度彼を見る。

 

悔悟。

罪の自覚は、「亡き人」をも生かす。 

罪の自覚が、人の内で彼が生きること許す。

彼とともに生きることで、人はまた流れに乗る。

どんな罪も、彼は赦す。

 

彼は空だから。

彼は星だから。

彼は海だから。

彼は愛だから。

 


 スーフィズムが説く人間の理想像として「完全人間(インサーン・カーミル)」という考えがあるが、これは罪を犯さない完全無欠な人間という意味ではない。過ちから決別するのではなく抱えて生きていくような、罪と「向き合う(タウパ)」覚悟を持った人間のことを指すのである。悔悟の境地は心の出発点にしてあらゆる境地の土台となるものであり、修行者は常に悔悟の境地を心に秘めながら、日々を生き修行に勤しむことが求められている。スーフィーたちが好んで引用するハディースに次のようなものがある。

 
 
 マーリク・イブン・アナスは、預言者(祝福と平安あれ)が次のように述べたと伝えられている。

 アダムの息子は皆過ちを犯す。しかし過ちを犯した者の中で最も優れているのは、悔い改めるものである。

 

スーフィズムとは何か』 山本直輝

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