支配したり服従したりしないで、それでいて何者かでありえる人だけが、ほんとに幸福であり、偉大なのだ。
『格言と反省』 ゲーテ
洞爺湖を眺めながら温泉につかった後、近くのゲストハウスに向かった。
ビジネスホテルに10000円払って「それっぽいサービス」を受けるより、ゲストハウスに5000円払ってその宿の「個性」を感じる方が好きなので、旅先では大抵の場合ゲストハウスに泊まる(単に金がないというのがホントのところ)。
「あそこはサービスがいいよね」と言われているところの「サービスがいい」という言葉の意味をつかめない。単に「右へならへ」をしてるだけじゃないか(「お上」にすがって。「仕方ない」なんて言いながら。「仕方」を考えてないくせに。)と思うことがしばしばだが、それを口にすると”煙たがられる”のもこれまでの人生で学習したことの一つだ。
「ホントのこと」を言うと結構な確率で「炎上」するのはネット社会にずいぶんと慣れきってしまった我々が学んだことの一つで、これは「ネット」だろうが「リアル」だろうが関係ない。
きっと昔からこの国では「ホントのこと」より「空気」の方が大切で、空気を乾燥させる感想を言うのは御法度なのだ。みんな「発火」に怯えているから。
ネットの「炎上」というものはごくごく一部の「頭のおかしい人たち」によるごくごく一部の「どうでもいい現象」であることもすでにほとんどの人が気づいてることだが、とはいえあの「頭のおかしい人たち」の「おかしな行動」はぼくたちと無関係ではない。それは「写し鏡」なのだ。彼らは「選ばれし者」として祭り上げられている(あるいは自らを祭り上げている)だけなのだろう。
そう、人はみな頭がおかしい。
「人はみな頭がおかしい」とあたまのおかしそうな人が叫んでいるのをみると、「おかしな気持ち」になる。
「おかしな気持ち」になると気分がざわついて「お菓子」が食べたくなるのは、自分の中にある「おかしな部分」から目を逸らそうとする「現実逃避」なのだろうか。
「お菓子」はおいしいけれど、そのおいしさはズバリ「錯覚」というもので、「お上」による”コントロールツール”として長年大活躍している。そりゃあこんなのばっかり食ってたら「右」に習ってしまうのは当然だろう。不可抗力に近い。「現代版”パンとサーカス”は、糖とスマホ(SNS)だ」という言説は事実だ。
「右にならう」のは「不可抗力」に近いとはいえ、それは完全な不可抗力ではないことも確かで、「抵抗力」を持つ有志なら乗り越えられるのではないか。
ぼくは「左にならおう」とも思わないし、「右」か「左」かなんてどうでもいいと思っているけど、「おかしな世界」には抵抗して生きていこうと思う。
「人はみな頭がおかしい」のかもしれないし、「社会はそもそも無理ゲー」なのかもしれないし、「世界は常にデタラメ」なのかもしれないけれど、「何もしない」ということに「意味」があると思えないから。「何もしない」のは”不自然”だと思うから。
というより、「そもそも”何もしない”ということは、”何もしない”ということを既に”している”」と、いつも言っているけれど、大抵の場合それを聞いた人は「ぽかーん」としている。「ぽかーん」と。
多くの人は「しない」ということの不可能性についてあまり考えないらしい。いや、たぶんぼくの説明がテキトーすぎるのだ。
ともかく、まずは身の回りの「お菓子なこと」から変えていきたい。
と、今この瞬間にも「お菓子」を食べながら考えていた。「脱出」には時間がかかりそうだ。
「おかしなこと」に気づいている同志よ、いつの日か「お菓子なこと」から抜け出したら、時代遅れな「夜遊び」なんかほっぽり出して、「朝活」でもしよう!
現代の「カウンターカルチャー」は朝に昇ってくる。
いつの日かの「朝」を楽しみに、ぼくは「お菓子な戦い」に勝利してみせたい。
道を真っ直ぐ歩いていると、予約していたゲストハウスについた。特段優れた宿とは思わなかったけれど、ほんのり香ってくる「個性」がやっぱりあった。
ここにはゲストハウスには珍しくサウナがついていたが、ちょっと前から流行っている「サ活」をどうでもいいと思っていることもあり、「サウナ入る予定あります?」と柔らかい雰囲気の宿主に聞かれて「ないです」と”あいだ”を置かずに即答した。
あまりに即答だったためなのか、宿主は一瞬間を開けた後、クスッとして更に表情をやわらげた。表情がやわらぐのをみながら「この人はいいなぁ」と思った。
あの宿主は「意見と存在の区別」ができているのだろう。
「意見を否定しているだけで、その人自身を否定しているわけではない」ということが伝わる相手に出会すと安心する。そこでは空気が乾燥していても「発火」することはなく、湿った空気から解放されて清々しい空気を遠慮なく吸い込むことができる。そして、「心が通っている」と思える。
湿った国の北部にある、大きな大地は乾いている。その大きな大地の中にある「凍らない湖」のそばの小さな宿で、心地よい気分になった。自然な気持ちになれた。
この自然を守り、自然に生きていたい。
以上、あたまのおかしな人の意見でした。