真のあらわれを楽しめ、
厳粛な遊戯を楽しめ。
凡そ生きているものは一ではなく、
常にそれは多である。
『神と世界』 ゲーテ
午前9時過ぎ。ホテルのカフェラウンジでコーヒーを飲んでいた。『Libraly&Cafe BLOSSOM COFFEE』というところ。
洞爺湖のゲストハウスで目を覚ましたあと、ひと仕事できるような場所を探していた。コーヒーが飲みたい気分だった。
Googleマップに「カフェ・喫茶」と入力して、気になったところをタップした。
星の数が5個のブックカフェがあった。5つ星ではない。他のカフェに比べると評価されていないという意味だ。評価されている数がすくないという意味だ。
星の数が少ない5つ星。少ないのに、5つ星。
5つに並んだ星が、なんだか面白かった。
5つの星の下の、そのまた下の方に載っていたホームページのリンクをタップした。5つの星のページを、もうすこし奥まで進んだ。
ホテルのカフェラウンジだということがわかった。364冊の本を置いているみたいだ。
「今月のおすすめの本」が載っていた。松浦弥太郎さんの『おとなのまんなか』という本だった。
「ここにしよう」と明確に思ったわけでもなく、「なんとなくここだ」とぼんやり思ったわけでもなく、そこに行くことになった。
理由はわからないけれど、そこに行くことになった。
久しぶりの感覚だった。そこに行くと、久しぶりの感覚になった。
じぶんの感覚を下手に操作しなくても、ほぼそのままの感覚で心地いいと感じられる場所だった。
大きな窓からたくさんの光が差し込んでいた。洞爺湖の雪景色が広がっていた。「洞爺湖ブルー」が売りのカフェらしかったが、たしかにこれはいいと思った。
最初、窓に近い席に座ってカウンターまで注文しにいった。
注文したあと、席にもどろうとして歩いていた。歩いていると、奥にある本棚に囲まれた席が目に入った。「あっちの方が良さそうだな」とおもった。
席を移動した。
本に囲まれながら本を読んだ。さっきiPhoneの画面でみていた松浦弥太郎さんの『おとなのまんなか』をパラパラとめくっていた。今月のおすすめを読んでいた。
今月のおすすめを読みながら、「この人は自分に似ている」と思った。
ぼくはなんだかいつも「何かに似ている人」や「何かに似ているもの」を探しているみたいだ。
探しているというか、そういうものに何かが反応する。
「似ている」という感覚に、ハマっているのだろうか。
「似ているから何?」と思うこともよくある。
「似ているから何?」と思って、「別に何になるわけでもないのかな」と思う。
何になるわけでもないけれど、それを見つけること自体が面白いのだろうか。
いや、それもちがう。
目の前にあるものが宇宙の相似形で、宇宙のパターン、宇宙の模様がそこに現れている。
そう思えることがある。
相似。
同じというには無理があり、別というのも無理がある。
同じじゃなくて、別でもないような、そんなもの。
同じじゃなくて、別でもないような、そんな生活。
そんな生活模様。
パターン化された生活。
固定化というとつまらなく思えるけれど、色んな模様を眺められるから、たのしい。
同じようなパターンなのに、同じではない。何かが、ちょっとちがう気がする。
ちょっとちがう気がするから、飽きないのだろうか。
「どうして364冊なんだろう?」
ふと思った。
ここにある本の数が365冊じゃないのは、「ちょっと足りない」ぐらいがちょうどいいからだろうか。